ハード・トゥルース 母の日に願うこと


パンジー(マリアンヌ・ジャン=バプティスト)は妹シャンテル(ミシェル・オースティン)に「とにかく目を閉じて横になりたい」と漏らすが、映画は全ての窓にブラインドがきっちり下ろされ(尤も他の家もそうだが)何も窺えない家の中で目覚める彼女の叫びに始まる。作中彼女は何度もベッドに入って横になるが、それは束の間の逃避でしかない。死なない限り安息は得られない。

美容師であるシャンテルが出張してくれても、罵詈雑言の途切れることのないパンジーの頭は揺れに揺れ髪の手入れは捗らない。妹は何とかしてくれるが、出向いた内科や歯科では検査すら受けられない。それこそ近所での買い物でさえも「人」と接さなければならず、父親に出て行かれ母親に妹の世話や家を保つことを任された苦労、その生い立ちからくる自分は愛されないという苦悩を抱えたパンジーにそれは極めて困難だ。人は一人では生きられないということをこんなにも厳しく抱えて生きる人がいる。ましてや家族との生活となれば目に入るのは文句の元になるものばかりなのだから、夫のカートリーは最後に極限に直面しての涙を流すのだ。パンジーの嫌う「人」を求めて外へ出ていた息子のモーゼスに「新しい友だち」ができることだけが新鮮な風穴だ。

シャンテルの娘のうち姉のケイラはプレゼンの内容を上司に馬鹿にされ(「ココナツフリー」とは…宣伝にはコメディともあったけれどこういうのが笑いどころなんだろうか)、妹アリーシャもミスからの新たな仕事を負わされる。二人に権力をふるうのがいずれも女性なのには意味があるのだろうか。しかし帰りに落ち合った二人は互いに今日もいい日だったと一杯あおり、その陽気さは近くの客も笑顔にするほどだ。それじゃあ二人の辛さや悲しさ、鬱憤はどこへ行ったのだろう、触れ合いなどで消えて無くなるものだろうか。これは「普通」の人々はそうしているという話なんだろうか。見ながらそのことが一番気になった。