
EUフィルムデーズにて観賞、2024年ルーマニア、エマニュエル・パルヴ監督作品。
17歳の青年アディが電気を点けずにいた部屋が父親によって照らされた後の場面がまず辛い。服をひん剥かれるなどされるわけでなくとも、両親や警察など大勢の大人に取り囲まれての診察は日常的な照明の光さえ暴力的に感じられる。「それまでどこにいた」「携帯紛失にいつ気づいた」といった質問の畳み掛けに母親は「大丈夫?」と口を挟む。しかし彼女含め大人達は彼の肉体的な傷も気にかけず、翌日背中に薬を塗るのは親友の女子イリンカだ。
当人の関与しないところで村の男達はそれぞれの権力と立場でもって牽制や取り引きをし合う。実際のところ目的は一つ、同性愛者の存在を見えないままにしておくことだ。アディに暴力をふるった兄弟は理由を「奴はアレ(英語字幕はfagot)だから」とはっきり言い、地元の有力者である父親も警察も誰も、それについて何も呈さない。警察の一人は食べながら調書を取る。診察からアウティング、治療、事情徴収など本当に辛くてトリガーアラートが必要だと思った。
それならここにはいなかったことにしよう、というのがこの映画の結末だ。それは二人が去った浜辺が残る固定カメラのオープニングとアディがボートで村を去る後ろ姿のエンディングの対比や、自身を映した後にそれを消す鏡に表れている。中盤軟禁された彼が両親の目を盗んで逃げようとするくだりには昂ぶりがあるが、村の皆の合意で発つラストは空虚だ。彼の傷も世界の歪みも何もかもがどうにもなっていない。トークによると監督はルーマニアのある村で男達に暴行された女性の側が非難を受けた事件に触発され、内容を変えることで「当事者(属性?)でないからこそ社会的な構造を訴えられた」と語っているそうだが、妥当なやり方だろうかと思う(事件の書き換えではなく、当事者のずらしというようなことにつき)。だからこの映画には意見が持てない。