ドイツ映画祭で見逃したものをEUフィルムデーズにて観賞、2019年ドイツ、メフメト・アキフ・ビュユックアタライ監督作品。妻の携帯の留守番電話にイスラム教徒が口にすれば仮離婚となる「タラク」との言葉を勢い余って残してしまったことから、別居によりこれまでと異なる環境に身を置くようになったオライの日々を描く。
前日に見た「ホーホヴァルト村のマリオ」(感想)ではムスリムの人々が主人公に大きな影響を与えるが、本作ではドイツに暮らすトルコ系のムスリム男性、オライが主人公。オーストリアの「ホーホヴァルト」のナディムはパティシエ学校に通うもうんこ野郎、テロ野郎と罵られ仕事に就けなかったと話すが、こちらはオライがおれ達は特にドイツじゃ一人で生きていけない、コミュニティに頼らないでどうするんだと言われるのに終わる。
宗教の知識がないのでその部分しか見えないのかもしれないけれど、私にはこれは男性の問題についての映画で、宗教の諸々も結局は個人に帰すんだということが男性の問題は男性の側の問題なんだということと重ねて語られている、いや表されているように思われた。「ホーホヴァルト」の指導者が代替物だと定義していた酒やセックスにつき、オライはそれらへの欲望が止まらないのを信仰によって抑えられた、救われたと熱弁を振るうが、頭の中にないことは冗談にだって出てこないんだから、売春宿に寄るなよ、カジノへ行くか?などの軽口に、彼の中に衝動や欲望が常に場所を占めていることが分かる。冒頭の妻との場面、スマホを取り返そうとする彼女への元気だな!のヤバさにもそれが伺える(端的に言って、女を傷つける類の男である)。
ハーゲンで家族や仲間を大切に職業訓練を受け就職しようとしている妻に対し、オライはここケルンでもお前ならすぐ仕事に就ける、若くてきれいでしかも女だからと言ってのける。女は楽なものだと思っているんだろう。このあたりは日本の「(カッコつき)弱者男性」の問題と通じるところがあるように思われるも、彼らは日本の日本人のようなマジョリティでは全くなく(パーティで仲間が「そのうちトルコ人が人口の2割を超える、ドイツ初のトルコ人首相になってやる」などとかます)、男性の問題といっても抜け道がない。コミュニティ内部で頻繁に行われるハグだけがひととき彼らの心を満たしているように見えて辛かった。