最後まで行く


こんなに力の入ったリメイク、見たことない。オリジナル(2014年韓国、キム・ソンフン監督)では部署の皆で仲良く悪事を働いていたのがこちらの工藤(岡田准一)はヤクザからの裏金を一人で受け取っているのに始まり誰が死んだんだっけ程度のキャラクターだった「轢かれた男」の尾田に磯村勇斗(なんて有名役者、ということは…)、得体の知れなかったのが巻き戻され明らかにされ繋がる矢崎(綾野剛)のパート。こうした諸々の改変の所以であるテーマははっきり伝わってきたけれど、映画としては耳元で始終大きな音を出されているようで緩急、ひいては緊張感が皆無なのが残念だった。

工藤や尾田は矢崎に「ばーか!」と言い放って電話を切り、その矢崎は義理の父となった県警本部長をぶちのめす。この映画のテーマは男達の「(金のために我慢してきたけど)おれのことバカにしてんなよ!」である。しかしくんずほぐれつの後に全てを持って行く人物、四日市の工業地域の空撮に始まる数年に一度しかお目にかかれない素晴らしいロケ…に対して登場人物の抱える「こんな町」との思い(舞台は愛知県の架空の市)、キレたところで出口もない。ゆえにラストも中途である、そこにしか希望がないから。

工藤の別居中の妻(広末涼子)は「こんな町は出て行く」と言っておきながら話の終わりには彼にほだされる。オリジナルでは妻じゃなく妹で別のパートナーを持ち少々の距離感があるため軽やかで見易かったが、夫のすることに嘆いたり騒いだりする以上の役割を持たない妻をなぜ据えたのか疑問に思った。映った瞬間にラストバトルはここじゃないと分かる、工藤の「荒れた、侘しい」一人住まい含め夫婦の描写は古い。男性が悩みをなかなか打ち明けられない、すなわち弱みを見せられないというのはいまだ続く問題だけども(「守ってあげられなくてごめん」ってそもそもお前のせいだからな、という/ちなみにもう一人の「女」の役どころについては『TAR ター』の主人公をレズビアンにしたことに対する批判に通じるものを感じた、現実では…なのにと)。

オリジナルでパク・チョンミン(チョ・ジヌン)がコ・ゴンス(イ・ソンギュン)のところへ戻ってきて掛けるセリフが「ヘジャンククの店があるんだが…」、ああいうところが面白いわけだけどこちらの矢崎は長々と喋る、いわく「おれたちはやっぱり似てる、一緒に組んで働かないか、金があれば何でもできる」。尤も彼の人生にも時間を割いているこちらではああいう方がしっくりくるといえばくる、全てが繋がってずるずる湿っぽく、長たらしくなっている。娘の件もパクは「何もしない」のが却って怖いのにこちらでは攫ってしまう。それにしても娘が居るのに爆発物なんて仕掛けるだろうかと工藤の行動には違和感を覚えてしまった。