最近見たもの


▼叔・叔(スク・スク)

レインボー・リール東京にて観賞、2019年香港、レイ・ヨン監督作品。引退するかしないかというタクシー運転手パクと既に職を退いたホイの恋物語。おそらく何かに気付いている息子の「音量を下げて」にベッドに小さくなるホイの姿に被る秒針の音に、彼らには時間が無いのだと分かる。無一文から苦労して家族を作ったというパクの話には、海こそ渡ってきていないしゲイでもないけれど、韓国ドラマ「ナビレラ」が思い浮かぶ。「引退したら楽しんで」と言われるが、皆が想定しているのは「歓楽街でのお遊び」や妻との旅行であって、本当に望んでいるものじゃない。

映画はパクが商売道具であるタクシーのメンテナンスを丁寧に行っているのに始まる。後にそれを譲ることになる義理の息子への「家だと思って客をもてなして」に、彼が仕事を続けていたのは自分を偽ってきた家庭ではない、一人になれるもう一つの家を持つためでもあったのかなと思う。トランクにタオルが吊るしてあるのが小さな物干しに見える。一方妻と別れ息子夫婦、孫と暮らすホイが「手で触ることのできるものが好き」と言うのは、「慈しむ」という言葉ばかりが思い浮かぶ二人のラブシーンのように、何かを手でもってしっかり実感したいのかなと思う。

二人は周囲には同性愛者であることを隠しており、パクは既婚者なのでホイは「愛人」となる。家では椅子に座っているばかりのパクと息子の留守に彼を家に呼んだホイが市場で買い物したり台所で並んで調理したりする場面から溢れる幸せ。食事なんて毎日のことが、一緒にしたい人とできない。しかし身内に対する愛情もある、それもよく分かる。全員が少しは幸せながらおよそ不幸である、その元凶はホイが属する高齢者のゲイのグループの年長者をパレードに参加した日から白い目で見ている、あの、ぼやけた人々にあるんだろうか。

▼ベアトリスの戦争

東ティモール映画祭オンライン上映にて観賞、2013年、ルイギ・アキスト/ベティ・レイス監督作品。東ティモール制作の初の長編映画だそうで、1975年のインドネシアの侵攻に始まり蹂躪され続ける女性ベアトリスの過酷な半生を真っ直ぐに描く。(彼女いわく)「ポルトガルの美しい置き土産」の少年トーマスに牧師が言うことには「きみの鶏は死んでない、帰って来た時には強くなってるぞ。でもアヒルが帰って来たら注意しなきゃ」。

サンタクルス虐殺事件を世に伝えたジャーナリストのマックス・スタールによって制作された「女たちの闘い」(2007/公的支援も交通網もない奥地でのお産と政府の医療施設での出産を比べる教育ビデオ)でも東ティモールの女性はとにかく多産であると言われていたものだけど、この物語でも女達は子をたくさん産む。オースティンの時代には女性は結婚の受諾・拒否にしか意思を行使する場がないという話を思い出しながら見ていた。彼女達には出産しかないのではないかと。

なにしろ、「向こう(インドネシア軍)が1人殺したらこっちは10人産んで、軍隊を作る」なんてことを言ったりするのである。勿論そんなことできっこない。出産がいかに権力の表れる場かということを思い知らされる。そんな境遇において、ベアトリスが住民投票によって意思表明しようと女達に呼び掛ける姿が強く心に残った。