デッドマン・ダウン



大好きな「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」のニールス・アルデン・オプレヴ監督のハリウッドデビュー作にノオミ・ラパスが出演というので期待していたもの。面白かった、とても好み。
ノオミは「ミレニアム」公開時のインタビューで「世界進出に向けて英語を勉強中」というようなことを言ってたから、本作で「あなたの英語は訛りが無いわね」なんて口にする側の役なのが、遅ればせながら頑張ったご褒美みたいだなと思った(笑)
ノオミ演じるベアトリスが、コリン・ファレル演じる「訛りが無い」ヴィクターにまず「フランス語は話せる?」と訊ねるのは、大勢の中で(解する者の少ない)フランス語で喋りたかったからだろうか、単に彼「も」移民なのか知りたかったのだろうか、それともヴィクターが「外国人」に見えたのだろうか?こういうところがいつも分からないんだよなあ。


(以下「ネタバレ」あり)


「顔に傷を負った女の復讐」なんて聞くと、私の場合まず「そんな物語が世に在るから女は容姿が命ってことになっちゃうんだ」と反発してしまうけど、本作にはそういう「お約束」に繋がる要素、というか「感じ」が一切無い。ただただ「そういう人」が居るのみ。私にとってはどんな映画でも、この「そういう人」ってことが大事。映画の作りもあれど、どの作品でもそういう空気を醸し出せるノオミの力は大きい。顔の傷をつたって瞳から流れ出るかのような涙、事故後のほてりかとも思ってしまう背中や腰の露出もいい。
高いヒールの靴やカラフルなドレスの数々が、彼女の「装い好き」な精神を表してたのもよかった(冒頭、母親…イザベル・ユペール!にこきつかわれてるのかと思いきや、「誰かをきれいにするのが好き」なのだと分かる)。私はヒロインが美容院で働いてる映画って好きなことが多いんだけど、本作もそう(エステサロンだけど、まあ近い)。「女」の職場が出てくる映画こそ、ヒロインが「女」のお約束に侵されてないというのは面白い。


男は仕事を求めてやってきたハンガリー人。ギャングに妻子を殺され、復讐を誓い名を変えて当のギャングに潜り込んでいる…ということが、少しずつこちらに分かるよう仕組まれている。「仕組まれている」のがありありと分かっちゃうあたりに雑味を感じるんだけど、ヴィクターが標的に小分けして送り付ける「パズル」と掛けてると思えば悪くない。
ハンガリーには兵役があるから」だけじゃ説明のつかない、ヴィクターの凄腕が炸裂するアクションシーンがどれもいい。ビルの屋上から路上の車中の仲間を狙撃した後に建物内を逃げながら更なる殺しを済ませていく一幕と、ラストの、窓の外にかすかなタイヤのきしむ音で始まる華麗な復讐劇。近年で言うと、これと同じく…というかこれよりも好きな「復讐捜査線」に似た味わい。


ヴィクターの住まいで色と熱を持つのは、復讐のための「隠し部屋」のみ。別の部屋でベアトリス宅からもらった料理を食べるのは、いわば期せずして「生活」の種を巻く行為だ。
隠し部屋の壁の大きな地図(ニューヨークの一部のもの?)がずっと気になっていたら、ラストシーンのヴィクターとベアトリスの後ろにもでかでかと同じようなものが貼ってある。違う用途のためだったにせよ、ヴィクターがこの街の地図を貼っていたのは、これからもそこで生きていくという心の奥底の意思の現れのような気がして、温かい気持ちになった。復讐の内容どうこうじゃなく、二人の再起の物語なんだと。
ちなみに同居人と私のお約束の会話に「この中で今日○○してきた人っているかなあ」というのがあるんだけど(他愛もない遊び?ね、例えば畑仕事の後にレストランに行ったら、この中に農作業してきた人なんているかなあ?というような)、この映画のラストシーンではそれをやりたくてうずうずしてしまった。私なら絶対言ってるね、「今、この車両の中に、人殺しして家一軒焼いてきた人、いるかなあ?」って!