ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー



私にはこれはキーラ(エミリア・クラーク)の束の間の休暇の物語に思われた。冒頭からなぜか予感され、見ながらずっと辛かった。スピンオフ含めたシリーズの中で一番悲しい話だ。
この世界の人々は本当は楽器を奏でたり飲み屋を営んだりしたいのだ、でも自由が無いからこんなことをしているのだと今回ほど痛感させられたことはない。自由に少しでも近付くには正面切って戦うか逃げるか、でもキーラは「逃げない」ことしか出来ない人間なのだ。彼女の、いわば休暇が始まった日のいきいきとした表情が切なかった。賭けをするハン(オールデン・エアエンライク)を見ている顔にあふれる解放感!


あんなに「かっこいい」登場の仕方をしたトバイアス(ウディ・ハレルソン)が、当時のハンの理想の延長線上の存在ではなかった(「雇われ仕事をしていた(=他人の指示を受けていた)」)ことも「悲劇」かもしれない。でもこちらは悲しい話じゃない。
「雇い主に捕まり失敗を責められる」というハン・ソロお決まりの場面や、「埋め合わせをするから」と言い逃れようとする場面に、「アウトロー」とはこの運動のことなのだと思う。すなわち、雇われて、仕事をするも(承知の上で)失敗して、埋め合わせをするからと再び外へゆく、これがあの世界で「アウトロー」でいられる唯一のやり方なんじゃないかと。


キーラがドライデン(ポール・ベタニー)とトバイアスのやりとりに「彼は言い訳には興味ないって」などと割って入るのは、彼女に出来る最大の「善い」行動である。振り返ると負い目ゆえとも考えられる。ああいう類の、微妙な感情が表れている言動はシリーズの他の作品ではあまり見たことが無く、繊細なシーンだと思った。
キャラクターの描写と言えば、印象的だったのは序盤の港のゲートでのキーラとハンの相違。役人に対し、キーラは賄賂を渡す前にゲートを開けるよう要求するがハンはとにかく渡そうとする。この世界では案外と後者が成功するのだ(私は勿論前者、だから彼女に「共感」してこの物語を辛く感じたのだろうか)。


私達はこれからシリーズの他の作品を見直す時、ミレニアム・ファルコンの陰にL3(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)を、ハン・ソロの陰にキーラを見るだろう。そう考えたらこのスピンオフは、有名キャラクターに女という陰を加えて厚みを出すため(だけ)の一作だとも言える。
女同士の会話が、キーラとL3は「自分を好いている男の話」、キーラとエンフィス・ネストは「あの男達、あなたを助けるって話してるよ、という話」と男達の話に終始しているのが目立って感じられた。「女同士の会話は男に関するものではない」というベクデルテストの条件にこんなに見事に引っ掛かる映画って昨今ない(あの条件を付けなきゃならない理由がここに!笑)