エヴァの告白




「あなたがたはなぜアメリカにやって来たのですか?
 可能性を信じていたのでしょう?
 それなら私も信じてやってみます」


オープニングは「自由の女神」。カメラが引くと手前に帽子の男の後頭部、ほどなくホアキン・フェニックス演じるブルーノだと分かる。ここは移民の玄関口であるエリス島。「反射」を使ったドラマチックなラストシーンの後に原題「The Immigrant(移民)」がばーんと出ようと、この映画はこの島に囚われている彼の物語のように思われた。
場面換わって管理局で入国審査を待つ人々の列、マリオン・コティヤール演じるエヴァが、咳き込む妹に向かって「もうほとんどアメリカだから」と言う。ここはまだ「アメリカ」じゃない。


物語を着実に紡いでゆく映像を見ているだけで楽しい。柱を隔てて分かれる人々、ガラスや熱気で、あるいは意思によって歪みぼやける視界。エヴァに「彼はあなたが好き」と告げる、振り向かない少女の不吉な後ろ姿。「伏線を回収」…という言い方はあまり好きじゃないけど、さらりと打たれたピンの数々が話をシメる。例えばブルーノのことをよく「知る」女達の、「すぐキレる」「盗みをするなら殴られる覚悟がいる」なんてセリフから、これまでお金を盗んでしまう者が少なくなかったことが分かる。
当時の場末の芸事が見られるのもいい。1920年代といえば、ブルーノが雇われている劇場のボスいわく「そろそろ映画が大敵になる」頃。ブルーノのショーは、彼の口上に合わせて各国をイメージした「コスプレ」の女たちがダンスめいたことをするというもの。客は、ここに爆弾でも落ちやしないかと思っちゃうようなゲスい男達。


今更ながら、マリオン・コティヤールのことを初めて美しいと思った。これで彼女が「普通」の女なら、「普通」のレベルを上げるなよと向かっ腹が立つけど(笑)これは「美女」がそれゆえに辿る物語、なんだから「正当」だ。「美女」がいればそれ以外の女達がちゃんと居るのもいい。浴場での様々な体つきの女達の場面の魅惑的なこと。エヴァの体が細いのは、日の当たるところに暮らしていたからか?女の一人が「太らないと寒さに耐えられない」とアドバイスする。エヴァがバナナの食べ方を教わるこの場面で、作中初めて、空気が少しゆるむ。
ホアキン・フェニックスはいつものごとし。エヴァと出会い、10分後に出るフェリーで「再会」した時点で、その目のそらし方、瞳の色から、彼女に惚れていることがありありと分かる。もっとも彼演じるブルーノは「分かりやすい」人物で、例えばエヴァに本当のこと…嘘じゃないことを話す時には彼女の目をしかと見る。「選択肢の無い」彼は、惚れた女、彼よりも更に「選択肢の無い」女のために、持てる限りのものを投げ出す。


チラシじゃ目張りメイクにばかり目が行っていたジェレミー・レナーは、本当に「マジシャン」の役だった。従兄弟であるブルーノと対照的な存在で、場に囚われず、エヴァに「夢」を見せる。
移民拘留所の慰問ショーに訪れた彼が「フーディーニでも出来ない」という「空中浮遊」を演ってみせる際に「何気なく」述べる口上が、文章の冒頭に挙げたもの。この後にすーっと浮かんで見せる彼の姿に涙があふれた。移民達の信じる「可能性」は幻だと言われているようで。作中において、エヴァが彼と一緒の時のみ「希望」に満ちた、どこか感動的な音楽が流れるのが、全て「マジック」に見えて泣けてしまった。