帰らない日々


シネ・リーブル池袋にて観賞。
コネチカットに暮らす大学教授のイーサン(ホアキン・フェニックス)は、家族での帰宅途中に息子のジョシュを車に轢かれ亡くす。運転していたドワイト(マーク・ラファロ)はとっさの判断でその場から逃げ去った。しかし後日、遅々として進まない警察の仕事に業を煮やしたイーサンが調査を依頼した弁護士こそ、ドワイトであった。



ストーリーにはボストン・レッドソックスが重要な位置を占める。マーク・ラファロとその息子はとくに熱烈なファンで、作中のコミュニケーションはほとんどがレッドソックスがらみのものだ。離婚した彼は息子と会う時間を限られており、物語の最後には「試合期間中は一緒にいさせてくれ」と前妻(ミラ・ソルヴィーノ)に頼みこむ。
現場近くでの調査を続ける警察いわく「人間は習慣の生き物です、いつも同じ道を通るもの」だそうだけど、マークは事故を起こした際に身に着けていたレッドソックスのキャップをその後も被り続ける(それが切っ掛けで、ホアキンは彼が犯人だと気付く)。あれだけ恐怖におののいてるのに、そういうことってあるんだろうか、いやあるのかもしれないなあ、などと考えた。


舞台はコネチカットの静かな田舎町で、登場人物たちには共通項やつながりがある。亡くなったイーサンの息子とマークの息子は同級生だし、イーサンの娘がピアノを習っている先生はマークの前妻だ。
小さな弁護士事務所に勤めるマーク・ラファロは、私なら絶対に仕事を頼みたくないタイプ。挙動不審だし頼りない。家族としても、息子との食事はいつも宅配ピザだし(アメリカではあれが一種の「普通」なんだろうか?)、話を最後まで聞かずに怒鳴るし、どうかと思うけど、息子はそんなパパを尊敬し、愛しているから、幸せな関係だ。
いっぽうホアキンは、現場で泣きじゃくるなどの姿も見せず、事故後も努力して仕事を続ける。しかし犯人への復讐心に憑かれるあまり、家族と心が離れ、妻(ジェニファー・コネリー)に「私たちを置いていかないで」「愛してるの、助けてほしい」などと言われる。当たり前のことだけど、何事かが起こることにより、人間のこれまでとは異なる面が現れる、人間同士の関係が変化する、ということがあるんだなあとしみじみ思った。
それから、「○○のパパ(あるいはママ)」というハンドルなりニックネームは、ああいう場合なら納得できるものだなと思った(笑)


これほど車があふれていてこれだけの事故数で済んでいるのが信じられない、とたまに思うことがある。私も2年ほど車を常用していたことがあるけど、その間に事故を数回起こしたので(駐車場に停まっている他の車にぶつける、お店のコンクリにぶつけるなど)、自分には向いていないと思って乗るのをやめた。否応なしに誰もが運転手にならなくてはいけない社会は怖い。