ニューヨーク、恋人たちの2日間



パリ、恋人たちの2日間」('07)の続編。大体ジュリー・デルピー(の作る映画というかこのシリーズ)って他愛ないにも程があるし、何だかんだでお堅いし、ギャグもダサいと思う!んだけど、前作はその年のベストテンに入るお気に入り、本作もとても楽しく見た。彼女のまっとうさがいいんだな。


オープニングはニューヨークに「木の妖精」が現れたというニュース映像。本作を観るにあたり、前作を未見でも支障無いと思うけど、父親役の俳優がジュリーの実の父だということと、このシリーズではダニエル・ブリュールが「妖精」役であるということは知っておいた方がいいかも(笑)


ジュリー・デルピーによる主人公マリオンが自分の両親について語るところによると(若き日の父親の、本当にかっこいいこと!)、二人は五月革命で知り合い恋に落ちたという。ジュリーは色んな意味でヌーヴェルヴァーグの子なんだなと思った。クリス・ロック演じるパートナーのミンガスは、彼女の家族について愚痴る際「昔はフランス人といえばゴダールみたいな印象があったけど…」と口火を切る。後に彼の両親も「活動家」であったことが分かる。


死んだウサギや王女の格好をしてはしゃぐ娘達を「死はクールじゃない」「ヴァンパイアも、映画になってるけど、クールじゃない」とたしなめる場面は、ジュリーの映画史を思うと可笑しい。同時に「生きてることがハッピー」と言って聞かせる口調の強さには、彼女の信条が現れてるようにも思われた。その後の、そのまま帰宅した娘達を(愛する妻を亡くした)当のパパが喜んで迎えるというくだりで和らげられてはいるけど。
例え最初と最後を飾るのが「めでたしめでたし」という慣用句が似合う人形劇であっても、娘とベッドに入るマリオンのカットには「物語が終われば、もうドラゴンと戦うことはない」「でも現実の、ずっと続く日常は、ドラゴンより手ごわい」「でもそれにより、かけがえのない宝物が手に入る」というナレーションがかぶる。こうした、マリオンというよりジュリーの「主張」が、ごちゃごちゃしたストーリーを一つにまとめている、というより無理やり串刺しにしているといった感じ(笑)


マリオンに「コアラちゃん」と呼ばれているミンガス役のクリス・ロックがいい。彼がオバマの立て看板?に独り語り(来るべき日のためのインタビューの練習)する場面の度に、映画の空気がぐっと引き締まる。
「寿命が延びた現在では、昔と違って、60年同じ相手とセックスするか、60年セックスしないか、どちらかしか無い」というマリオンのナレーションからは前作同様「お堅い」感じを受けるけど(そう言いつつ「実際」にはそうなっていないわけだけど・笑)、パートナーであるミンガスのキャラクターも「お堅い」。マリオンの家族がやって来た晩に彼が見る、自分が「食われる」夢には、明らかに性的なニュアンスがあり、「普通」の男性がこういうセンスを持っているというのが「現代的」。
一方で、本作はマリオンとミンガスが「やろうとするたびに邪魔が入ってやれない」という話でもあり、その辺には古典的なコメディの匂いもある。


驚いたのは、クライマックスに描かれるのが、前作と全く同じだったということ。「祭」の日に、マリオンが「自分の中の矛盾」に直面する。前作では「将来も好きかどうか分からない」けど「別れるのは辛い」という気持ちを自覚し受け入れたが、本作では「魂なんて無い」という考えから「魂」を売るも、「何だか変になって」街に飛び出し、匿名の「購入者」(私の大嫌いだった人!でも本作での出演の仕方は最高・笑)を探して談判する。
その「矛盾」が自分一人の問題である、ということが強調されるのも共通している。帰宅の遅さに腹を立てていたミンガスに、マリオンは自分の身に起きたことを懸命に説明するが、全く通じず、とんちんかんな会話が繰り広げられる。この場面が、本作で一番笑えると共に、一番身に染みた。でも、ここでは噛み合わなくても、ラストシーン近くの彼女の表情と、その危機に飛んでくる彼の姿を見れば、少なくともしばらくは、二人は努力によって幸せでいられるだろうと思う。