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脚本監督のチェ・ジョンヨルの前作「グローリーデイ」(2015)は、韓国の男性は美しく生まれるがみな汚れてしまうという話だった。原作付の本作では(言わずとも誰もが知っている)その理由がまずはっきりと口にされる。「ファイナンシャルって何だか知ってるのか」「金だろう」。
前作と本作は一見かけ離れているようで、たまたまなのか何なのか余りに多くの同じ要素がある(…ので、以下の感想はほぼ二作を繋げてのもの)。学歴社会の中で子どもから大人への岐路にあり自由を求めている男友達たちが(バイクに二人乗りした後)警察に捕まるのに始まる。前作では生き残るために汚れるしかなかったのがこちらでは違う道が提示される。ただしいかにも「フィクション」として。

そんな世界に常に在るのが暴力である。「グローリーデイ」の主人公ヨンビ(ジス)は父の暴力で母親を亡くしており男性に足蹴にされている女性を見過ごせず、事件に巻き込まれる。被害者は金のために自分が暴力を受けた(おそらく、受け続けていた)ことを隠す。
本作は主人公テギル(パク・ジョンミン)が母親(ヨム・ジョンア)から平手打ち、少女からパンチを受けるのに始まるが、「女を殴れない」と言っていることからして作り手は男と女、男と女のふるう暴力は別としているふしがある(尤も彼は男だって殴らないタイプなのだ、サウナでの一件などからして)。女は同じ人間ではないようだ。それじゃあマ・ドンソクは何なのかというと、あれは暴力の妖精なのだ。彼によるあの役がなければ私が行った日曜日のように大入りにはならなかったろうけれど、あの役のせいで随分いびつな映画になっているなと思った。

テギルの「悪いことをしないで自由に生きていくんじゃだめなのか」とのセリフは何とも率直で切実である。「グローリーデイ」では孫息子が祖母に対し、本作では息子が母に対し、同じことを願っている。自分(息子)のために働くのをやめ好きなことをして生きてほしい、そもそも「仕事」とは自由や幸せと対極のものだと考えている。それじゃあ自分が長じたらどうすればよいのか。一応の答えが、本作で成人男性三人もが目指す料理人(が表すもの)なのかもしれない。
同様に料理に携わっているとも言えるテギルの母の「これが好きなの」とはトーストを作って売る仕事のことなのか、息子のためにお金を稼ぐことなのか、それとも嘘なのか、私には分からなかった。トーストそのものが映らないことからして一番最初の答えではないのだろうか。