スノー・ロワイヤル


これは同監督の元作品「ファイティング・ダディ 怒りの除雪車」の圧勝でしょう。つまびかれる弦楽器の旋律、ステラン・スカルスガルドのスピーチ帰りの何だかんだ言ってのにんまり顔、暴力行為の後の息のあがった姿、「伯爵」の髪に調度、ブルーノ・ガンツの亀かしなびた梅干しかという容貌で命令するしゃがれ声、銃を手にするワンカット、ほとんど完全コピーなだけにそういうところに映画があるんだと思わされた。

遺体安置所での「キコキコ」の時間をたっぷり取っているところにあれっと思う。自国でなら観客が「分かる」までの時間を読めるが外では不明なので念押ししているといった感じ。主人公ネルソン・コックスマン(リーアム・ニーソン)の「文明への道を作る」仕事や初めての殺人を前にどんどん下っていくエレベーターなどの比喩とも取れる描写も気遣いなのだろうか。オリジナルで多々見られた「温暖な福祉国家はない、天気がよけりゃバナナで食いつなげる」のような自虐ギャグも窺えない。

妻グレース(ローラ・ダーン)が出て行ったことにつき兄ブロック(ウィリアム・フォーサイス)は「女は潮時を知っている」と言うが、これはそういう話、男は潮時を知らないという話である。あの二人もさっさとダブリンに行っていればよかったのだ。男達が潮時を逃すのは忠誠心、と口では言いつつ金のためであり、本作で付け足された、ヴァイキング(トム・ベイトマン)の部下が賭けに勝って喜んでいるところへの息子の「(故郷のチームを応援すると言っていたのに)忠誠心はどうしたの」なんてセリフや、薄給のメイドの足元を見た「20ドル」などでそのことがより明確になっている。

オリジナルからは女達がいわば血がかからないよう隔離されている印象を受けたものだけど、本作では更に夫が元妻を殴れない、クソとも言えない世界になっている。作り手がそれを封じて女を「守る」ことが現実社会に溢れる暴力から女を守ることに繋がると私は思わないけれども。女性警官キンバリー(エイミー・ロッサム)が残虐な事件に張り切るのは、女は血なんて怖くはないが自分が馬鹿な目を見ることはしないという訴えなのだろうか(あるいは「ダーティハリー」と揶揄されるのがオリジナルでは主人公であることから、こちらではその精神の幾らかが彼女に託されているのかもしれない)。

オリジナルのセルビア人の先住民への置き換えはうまくいっており、「reservation」の場面は笑えた(笑えるようになっていた)。ただし主人公が「あんたみたいな優秀な移民はもう立派なノルウェー人だよ」と近所の人に声を掛けられたり、日系デンマーク人役のデヴィッド・サクライが「チャイナマン」と呼ばれたりしているオリジナルの方がそりゃあ面白かったけれども。