まだ明日がある


イタリア映画祭のオンライン上映にて観賞、2023年パオラ・コルテッレージ監督作品。

またしても、いやいつもと言うべきか、SNSで今日も見かける、文句があるなら転職しろ、国から出て行け、といった言葉と真反対のメッセージを強く訴える(ためにある大きな仕掛けをほどこしている)映画。家父長制の元で当初分断されているデリア(パオラ・コルテッレージ)と娘マルチェッラの関係はやがて、おかしいと思っていながらどうしても流されてしまう相手を互いに救いあげるものとなる。

(以下「ネタバレ」しています)

デリアのおはように先に起きていた夫のイヴァーノ(ヴァレリオ・マスタンドレア)がビンタで応える朝に始まる本作では、暴力がミュージカルシーンとして描かれる。ミュージカルシーンが家の中だけなんて奇妙さに暴力の異常さを覚える。序盤に届いた手紙の中身…映画の終わりにそれがイタリアで初めて女性が得た投票券だったと分かる…を確認したデリアが「あの人には内緒にしてて、ああいう人だから」と言うのは政治参加とは物言うことだから夫が彼女の投票など「許さない」と分かっているからである(それにしても投票入場券を「世帯主」あてに送るんじゃこの話は成り立たないわけだけど、今のイタリアはどうなんだろう、あるいは日本は昔から世帯主あてなんだろうか?)

舅オットリーノ(ジョルジョ・コランジェリ)は毎朝忘れずに、というよりも執拗に枕元の日めくりカレンダーの数字を進める。寝たきりのベッドから杖でデリアを呼びつけ尻でも触り、息子に嫁の扱いを説く変わらぬ日々が続くように…自分が支配し続けられるようにとでも言うように。彼が死んだ日こそ女達にとって初の投票日であり、集まって来る人々の、男達の幾らかは聖人だったと泣き女達はふるまわれるコーヒー(と砂糖)への嬉しさを隠さないというような描写が可笑しい。彼の死体と一晩過ごしたデリアはカレンダーを初めて自分で進めて家を出るのだった。