スリープ


迎えの車までの僅かな道のりの携帯電話で今日あったことを話す、夜のテレビの前のテーブルにピザやカップラーメンといったジャンクフードのゴミが並んでいる、そうした描写から妻スジン(チョン・ユミ)にとって夫ヒョンス(イ・ソンギュン)との関係がいかに居心地よいものであるかが分かる。しかし「その日」以降の彼女の悪夢や疑惑には押し殺しているネガティブな感情が影響している。妊娠して止めたお酒を飲まれることへの不満や手の込んだ料理を作ってもらっていることへの後ろめたさなど。そこには齟齬と同時に、どんな関係も社会の影響を受けざるを得ないことが表れている。巫女(キム・グムスン)の言葉が真実であろうとなかろうと、一緒になった男性のコントロールできない(とされる)部分に他の男が入り込み脅かされるんじゃないかという恐怖には妙なリアルさがある。嫌な男性は他の男性も引きずりおろそうとするものだから。

(以降「ネタバレ」しています)

二人が暮らすアパートの部屋には若手演劇人に贈られる演技賞なるトロフィーと「皆を喜ばせる役者」との記事が飾られているが、映画はその、役者である夫が妻のためだけに演技をするのに終わる(と私は受け取った)。彼が別人を演じることでいわば彼自身、彼そのものと他の人物、あるいは社会との境界が浮かび上がって、彼女は彼との間だけの空気に包まれてようやく眠ることができる。

個々がどう変わろうと残存する不公平というものもある。妊娠するのは女のスジンでいびきをかくのは男のヒョンスである(後者については男性の方が多いと言われているということ)。私なら一日で寝室を別にするような睡眠環境だが、彼女は落下防止の柵で牢獄のようになった寝室を中心に家の型を守り、やがては夫を牢に閉じ込めるようになる。下の階に越してきたミンジョン(キム・グクヒ)がスジンが出産後だと気付いてまず掛ける言葉が(「おめでとう」などではなく)「本当にご苦労様でした」とは韓国では普通なのだろうか?彼女も「夫無しで娘をちゃんと育てた」母親(イ・ギョンジン)もうまくいかなければ結婚なんてやめればいいと言うが、スジンは夫が作って掲げた「二人一緒なら克服できない問題はない」にこだわり抜く、うまくいく夫婦もあると私達が証明するんだとばかりに。

結局スジンは、同じくチョン・ユミが演じた『82年生まれ、キム・ジヨン』にも似て、夫の手で精神科へ送られることとなる(この病院が山の奥深くに建っており受付のスタッフが若い女性二人であるのにはどういう意図があるんだろう?)。彼女が退院した日の3章の出来事は、自身の行為をリアルタイムで目の当たりにしなかったヒョンスへの見せつけのようにも思われた。犬の死体を見た彼への「これでおあいこだ、私が黙って引きさがると思うな」とは(彼の中にいる、と彼女が信じている)ミンジョンの父に向けてではなく目の前の夫に向けての言葉に聞こえてしまった。男のしたことで女がくるうと見るとよくある類の話だけども、妊娠するのが女である限りそこからは抜け出せないものだろうか?