フィリップ


冒頭、1941年のワルシャワ・ゲットーで恋人や家族と一緒のフィリップ(エリック・クルム・Jr.)はこれより屈託のない人間がいるかというくらい屈託がない。しかしこの場所はやはり異常であった。続くタイトルバックは抜けるような青空に鳥の声、プールサイドでくつろぐ若者達、しかしこの1943年のフランクフルトは見るからに、全くもって異常である。そこかしこにナチスの旗が垂れ、ドイツの男達は帰ってこず、民族の血の純潔を理由にドイツの女の股によそ者の性器が入らないようセックスが管理されているなか夫が留守の女達は強制労働者の若い肉体を求め、異性装の男達が連行される裏で少佐が二十歳の外国人青年にセックスを強いる。

(以下「ネタバレ」しています)

フランス人と偽り「ただの給仕」として働くフィリップは、狂っていない場所を求めてここではないどこかに繋がる駅へと足を運ぶ。どこへ行けるわけでもないがプレッツェルを齧り道端のサックス奏者の演奏に耳を傾ける。夫の不在を嘆き外国語を話すようせがむ女達と違い「戦争が終わったら復学するの?」と訊ねるリザ(カロリーネ・ハルティヒ)もまた、彼にとり狂っていない場所となる。ドイツ女のブランカ(ゾーイ・シュトラウプ)とセックスしたイタリア人の同僚フランチェスコが絞首刑になった衝撃に、彼は彼女を求める。カフェで見つめ合う二人の間の空気だけが狂っていない。しかしワイン一本で親友ピエール(ビクトール・ムーテレ)が撃たれた後、フィリップは当初目論んでいた「ドイツ女を誘惑して捨てる」ことをするのだった、全員を殺された自分に出来ることはそれしかないと思い知らされて。

作中最初に描かれるセックスは、フィリップと「外国人と寝て労働を拒否している」(後に本人いわく「ゲシュタポをからかってる」)ブランカのそれである。さっさと交わった二人は戦争が終わったら会おうと一旦分かれる。彼女の大きな鞄は私には、ここではないどこかへ行くという希望の詰まった、彼にとっての駅の空気のようなものに思われた。楽しいことが好き、男が好きと全面に出して憚らない彼女はやがて自由なセックスへの罰として髪を切られ彼の部屋へ逃げてくる。「君は生きている、それが大事なんだ」「君は腐った世の中に迎合していない、戦争が終わっても、それが大事なんだ」との同志としての言葉とハグに涙がこぼれた。

フィリップを呼び出した少尉の「きれいな服着て贅沢な物食べて」には、人の外側しか見ない奴がいつの世にもいるものだと丁度一年前に見た、独ソのポーランド侵攻のニュースに始まる『探偵マーロウ』(2022)の、高級クラブに出入りしている女に対する評価を思い出すと共に、今の日本で暮らす私達の互いに互いを見る目が重なった。しかし彼の「お前と変わってみたい、もううんざりだ」にも真実味がある。フィリップがジャズに誘われ紛れ込んだクラス会には男は何らかを失った数人のみ、映画はフィリップのパリ行きと分かれ前線へ送られるうら若い青年達の靴音に終わる。こんな世の原因はどこにあるのか、誰かが責任を取るべきじゃないのかと思わせる、今の、例えば都知事選前の東京と重ねても。