アンモナイトの目覚め


「明るく賢い元の君に戻ってほしい」と似たようなセリフを最近聞いたな、私ならこんな男とは速攻別れると思ったな、そうだ「ミナリ」のスティーヴン・ユアン演じる父親だ。メアリー・アニング(ケイト・ウィンスレット)の「協会って全員男よね」に「でもあなたは伝説的な存在です」と答えるその男、ロデリック・マーチソン(ジェームズ・マッカードル)の屈託ない笑顔。噛み合わないやりとり、彼女の名誉を取り戻そうと何かしてくれるわけでもない。

私の大嫌いな映画では「女がメニューを自分で選ばない」が、この映画のマーチソン夫人・シャーロット(シアーシャ・ローナン)も選ばない、というか選ばせてもらえない(ことが抑圧であると示される)。夕餉の前に体を拭いてさっぱりした服に着替えるメアリーと「無理やりにでも服を着せますよ」とメイドに言われるシャーロット、辛酸を舐めてきた前者と子どもっぽい後者の対比がよくよくなされるが、二人には共通点がある。それは「一人は嫌だ」ということ。でも、自分を持っていて一人ぼっちに苦しむのと未だ自分というものを持っておらず一人でいることを嫌がるのとは違う。どんな関係にも生じ得る齟齬が真面目に描かれる。

「男の罪の告発」と「恋のままならなさ」とが全く絡まず描かれているため中盤は戸惑っていたんだけども、女を人間と見ていない男達がイクチオサウルスの化石からメアリーの名前を剥ぎ取り買い取った男の名を付けるオープニング、終盤同じ大英博物館にて男ばかりの肖像画の部屋で彼女が額縁に収まるのを経ての、件の化石を挟んでのメアリーとシャーロットのラストカットにようやく分かった。男達が名前を消そうとしてくる世の中で、女達の中にもぶつかり合いはあるけれど話し合い助け合っていこうと言っているのだと。

(だって、例えば「子どもはいるの?」「いいえ」「ごめんなさい」「どうして?」からの会話、時間を掛けてああいうことが繰り返されれば個々の考えや二人の関係は変わっていく可能性があるのだから。エリザベス(フィオナ・ショウ)の存在によって、彼女からメアリー、そしてシャーロットへと、長く生きた者からまだそう生きていない者への心の継承のようなものの輪郭が見えてもくる)

振り返ると作中で「女同士は助け合うものだ」とはっきり言っている人物がいる。「ゴッズ・オウン・カントリー」にてゲオルグ役だったアレック・セカレアヌ演じる医師である。しかし彼が「外国人」だとはいえ学問を修め職に就きパーティなど開いているのに対し、メアリーの方はマーチソンに伝説と呼ばれようと医師に看護の技量を誉められようとそれらが全く金銭に繋がっていないのだから、このセリフには政府に共助を説かれているような気持ちにもなってしまった。監督のフランシス・リーが実在の人物であるメアリーを独自の創作でレズビアンとしたのもどこかこれに通じるところがあるように思う。