ハント


「ぼくらの税金で買った銃をぼくらに向けるのか」とはイ・ジョンジェがブレイクしたという、光州民主化運動を描くために作られたドラマ『砂時計』(1994)の名台詞だが、この映画は何百人もが殺された光州民主化運動の回想シーンにおいて死体しか映さない。例えば終盤ある人物が大統領を狙った弾が一発で職員を殺してしまうように、私達観客の目の前であっけなく大勢が死んでいく銃撃戦と対照的で、職員が死ねば死ぬほど、死体しか映らないあの時にだってどれだけの市民が死んだことかと全ての犠牲者への悲しみが何倍にもなる。

(以下「ネタバレ」しています)

キム・ジョンド(チョン・ウソン)が肌身離さず付けていた認識票に込めた大義は先のことからくるのだろう(それを受け取った妻が泣き崩れるのはそれゆえに夫が死んだと思い知ったからだろう)。この物語の人々は、自らの大義と自らの立場における表の顔、目の前の相手に向ける思いの三つに常に引き裂かれている。キム・ジョンドがパク・ピョンホ(イ・ジョンジェ)に言う「好きなところへ送ってやる」とはそれらが一致し心安らげる場所のことに違いない。しかしパク・ヒョンホが同僚だったチョ・ウォンシク(イ・ソンミン)に「どこへ?」と返されるように、そんな逃げ場は存在しない。そしてこの「分裂」の元を作った責任は日本にあると言える。

目の前の相手に向ける思いとは、チョ・ユジョン役のコ・ユンジョンが出演している『ムービング』(2023)に倣って言えば、このドラマで安企部が排除しようとするヒューマニズム、ロマンティシズムに基づくもので、彼女の登場時の行動や死に際のウォンシクのパク・ピョンホへの告白、パク・ピョンホからユジョンへの取調室での助言などがそうだと言える。さらにどこにも表出できない思いとでもいうものがあり、これが一番強い者がここでは主人公となる。パク・ピョンホがユジョンに初めて会った時の「お前は幾つだ」とは変なことを言うなと思ったけれど、振り返ると彼は彼女がウォンシク言うところの「おれの後に続く者」だとあの時から分かって、黙っていたのだろう(このような思いは「通常」韓国映画では男が男に抱き続けるものだから、私はこの映画には「男と男」を感じなかった)。

パク・ピョンホとキム・ジョンドが作中初めて顔を合わせるのは人質になった前者を助けるために後者がテロリストを射殺する場面。「お前が捕まるから悪い」とは思えば予兆のようである。当初の安企部部長の元で向かい合うのを始め、二人が向かい合い、横に並び、また向かい合い…と繰り返すのは、対立しているが同じ方を見てもいることを表している。イ・ジョンジェチョン・ウソンが、静止画ではそれほど思わないけれど役を演じていると顔がそっくりであることも功を奏してどちらがどちらか分からなくなってくる。バンコクへ向かう際のバスの車内の場面は男が一人鏡に映っているようにも見えてやはり二人という、見事な画だった。