恋愛の抜けたロマンス


映画は主人公ジャヨン(チャン・ジョンソ)の「夢精」に始まるが、その「夢のセックス」につき、避妊しないのか~などと思っていたら、後にそれは彼女が「初恋」で受けた心の傷と共にあるセックスだということが分かる(いやらしいと感じることと自分が傷つくこととがセットであるというのは、「女だから」←作中のセリフね、無くはないだろう)。起きた彼女が覗き見るご近所のセックスが座位であることも、体位の意味は文脈によるとはいえいかにも適切で、このあたりで引き込まれる。

ジャヨンとウリ(ソン・ソック)が初めて会った日にしたセックスの描写がなされないのを面白く思っていたら、それは彼がコラムに書いた「モーテルに入った。モーテルを出た。」の通りなのだった。しかし彼女は後にふと、その時の彼、彼としたことを思い出す。この回想の使い方が大変エロくていい。

ジャヨンが真に求めているものは、酔い潰れたウリの前で口にする「友達の前では本当のことを全部は言えない/語り合ってセックスする、それが恋愛でしょ」。それはセックスだけの関係の先輩と映画を見に行ったり手を繋いだりしたいと思っているウリも同じであり、これはつまるところ、出会うべきなのに出会えなかった二人が運良く出会えたという、価値観もストーリーも昔ながらの恋愛ものなのである。でもこまかなところに実に今の韓国を感じる。

韓国の特にドラマでは親が粉食屋というのがお決まりだけど、「ワッフル屋を営む父親」は初めて。妻を亡くした父親(これもお決まり、スマホの登録名から親子関係が分かる)も祖母も他人のために生きてきたが、ジャヨンは誰かをしょっているわけではないのに自身を主役とも思えず生きている、学資ローンと賃貸の保証金9000万ウォンの借金を背負って。そして私は人生の主役になるんだと意思を露わにした瞬間、ウリが彼女に惚れる。彼との関わりでジャヨンはその問題を解決する。

日本料理屋、だけどチャミスルを飲みながら、しまいにはウリの頭に瓶の蓋を飾り付けながらのおしゃべりの場面が白眉。ジャヨンの「男のために喘いでると思う?(略)」はメグ・ライアンの古典に負けずとも劣らないセリフ(見せ方はノラ・エフロン&ロブ・ライナーにかなわないけど、それを聞いたソン・ソックの笑い顔が最高)。その他、古より見られる「自分のことを勝手に書かれていた」要素についても、それを知ったジャヨンの対応が現代的でストレスを感じさせない。

ソン・ソックはドラマ「私の解放日誌」ではキム・ジウォンに「私を崇めて」、本作ではチョン・ジョンソに(「愛を知らないと文が書けないと聞いてから何も書けなくなった」と告白した後に)「書かせてあげようか」と言われる。女性作家の作品において、女が「愛する」んじゃなく「自分を愛させる」男というわけだ、今のところ。