ランナウェイ・ブルース



スティーヴン・ドーフ演じる兄とエミール・ハーシュ演じる弟の「ランナウェイ」。原題は原作小説のタイトルである「The Motel Life」。兄は憧れの車で旅立って間もなく「どこかに落ち着きたい」と言う。それはモーテルで育った彼らが向かう、次のモーテルのことなのか?
二人と後者のガールフレンド役のダコタ・ファニング、親代わり役のクリス・クリストファーソン、皆よかったけど、映画自体がおぼこい感じがして、意識が遠のきそうになることしばしばだった。


警察と一足違いで病院から逃亡する際、作中初めて、ヤケといってもいいくらいの軽快な音楽に演出がなされる。ギャンブルで儲けたお金で手に入れた車に兄を乗せた弟は、病院の車椅子を放り出す。車椅子が畳めないとか、車内にスペースが無いとか、「病院」にうんざりしていたとか、そういう理由なんだろうか?いずれにせよ、車椅子でなくても、松葉杖かそうじゃない杖でもあれば随分助かるだろうに、二人はそういうものを使わない。モーテルで目覚めた兄は、トイレに行きたいと、酔って床でつぶれている弟を起こす。「一人じゃ立てないんだ」


ふわふわのドーナツが並んだケースに弟が映る画が素敵だけど、本人はそれどころじゃない。あからさまなほど、まともな食事シーンが無い。
弟はギャンブルに勝った夜、兄の入院先へスープとマフィン?を誇らしげに持っていくが遠景のみ。二人でモーテルのテレビを見ながらの食事も、もぐもぐする後頭部が映るだけで何を食べているのか分からない。寝ている兄を置いてダコタ演じるアニーのところへ行くと、トマトソースらしきものを煮ており、味見はするが、食べる場面は無い。彼は彼女とのベッドを出て、兄の元へ帰り酒を飲む。最後の「湯気」とパン、牛乳がとても人間らしく見える。食べるのがまさに生きるってこと。


弟とアニーとの作中初めての回想シーンは、アニーが「妄想」を語るというもの。彼女に元々ある癖かと思いきや、次の回想で、そうしたやり方は彼に教えられたのだと判明する。だから、旅の終点であるエルコで再会した際に彼女が語る「今の暮らし」が「妄想」じゃないとその場で分かり、ほっとする。
兄が初めて「物語」を頼む時、「俺がヒーローになって女をものにする話がいい」と言ったから、弟はずっとそういう話ばかりしてきたんだろうか?人の作り話の内容なんて、ましてや映画の中なんだから何だっていいけど、いや映画だからこそ、陳腐に思われて白けてしまった。話の内容が変わっていれば、兄も変わったかも、なんてふと思った。