グッド・タイム



オープニングクレジットがとてもいい。大したことはない。大したことはないんだけど、そういや映画を見ていたんだと思い出す。エンドクレジットからも、違う意味で目が離せなかった。音楽も全篇よかった。


映画は髭面の、全てが下を向いているような青年と、その視線を拾おうとするかのような目つきの初老の男性とのやりとりから始まる。「鋏と鍋」「自分を傷つける」/「水と塩」「海」「いい答えだ」/そして涙。人は自分の中の「箱」から他人にものをやったりとったりして生きていくが、このニック(監督のベニー・サフディ)にはそれがうまくできないのだと思った。主人公コニー(ロバート・パティンソン)が探し求めるのはその箱に思われた。


この映画が面白いのは、コニーが大切なもののために駆けずり回る話を、当の大切なもの(=ニック)の視点で挟んでいるところ。作中最後のコニーの瞳が、もう下は向いていないニックの瞳に繋がる。精神科医は最後に「二人ともおさまるところにおさまった」と言うが、エンドクレジット時になされる問いかけの内容とそれに対するニックの行動からしても、これは、彼に涙を流させる相手だけじゃなく兄だって…という(作り手がそう考えている)映画だろう。私は「どこで生きればいいのか、ここで生きるしかないのか」という物語と受け取った。


パティンソン演じるコニーが女や犬にその場を助けられる(が、当人含めた誰も力が足りない)話と見ることもできる。更には、彼が出まかせに言う「俺の前世は犬」は実はその通りだという話(!)と見ることもできる。犬が好きな二人の女に好かれた上に犬にも懐かれるんだから(後者には合理的な理由が一応あるけれども)。共に車に乗るジェニファー・ジェイソン・リー演じるコリーが本物の、16歳のクリスタルはフェイクすぎるファーを身に付けているのが面白い。彼女との「元」彼氏についてのやりとりは、思い切り未成年でもそれならばあそこまではいいだろうという映画の言い訳に思われた。


コリーとクリスタル、それぞれが母親と(後者には寝たきりの父もいるが)暮らす家庭の様子が見られるのがいい。高級マンションからコリーが去った後に母親が立ち尽くすカットは効いているし、荒れた台所でのクリスタルの「食べたり映画を見たりマリファナをやったりして夜更かしする」というセリフは雄弁だ。コニーのその場しのぎの「俺の夢なんだ/君にも関係してる」とは、同じ「何もしていない」女でもコリーでなく彼女にこそ有効なセリフだろう。


病室に姿を隠したコニーが、寝たきりらしき患者のおばあさんに「誰?」と言われジュースの蓋を開けて飲ませてやり自分が残りを飲む場面も印象的で、彼の人との付き合い方を表しているようだった。別に欲しがっちゃいない液体は口の端からこぼれてしまうが、おばあさんはそれでもって彼を「受け入れる」のだ。


サフディ兄弟の前作「神様なんかくそくらえ」で一番心に残ったのは、ニューヨークにはこんなに真っ黒なところもあるんだ!(人々の服装が一様に黒っぽい)ということなんだけど、この映画も割と黒かった(割と、とは舞台がほぼ夜なので回想シーンくらいしか人混みが出てこないから)。「ゲリラ撮影」を行っているそうなので実際そうなんだろう。一時病院が舞台となることを差し引いても、杖をついた人も目立った。