ベロニカとの記憶



とても面白かった。「閉じた物語の中でなく今そのものを生きよう」ということを語る「物語」。その目線はひたすら優しく、小説を元にした映画のよさ、つまり、原作ではもっと「書かれ」ているんだろうなあと感じさせる余白もあった。加えてどこにも「書かれ」ていないこともあるに違いないことも「分かる」。


トニー(ジム・ブロードベント)の回想において、ベロニカの家を去る車内での、後部座席の彼の目線のベロニカと父親の後ろ姿が忘れられない。トニーと彼女は何度も横に並び、向かい合い、抱き合いもしたはずなのに、彼の回想を「見た」私が思い出す時にはなぜかあの後頭部ばかりが浮かぶ。知らない人達がそこにいる。同様にエイドリアン(ジョー・アルウィン)についても、転校初日の、一、二列後ろの席からの横顔が目に焼き付いている。


歴史教師(マシュー・グード)がヘンリー八世について問うと、エイドリアンは「分からないことは説明できない、ただ何かが起こったということが分かるだけだ」と答える。後のランチタイムに、トニー(ビリー・ハウル)が「君の歴史観、いいね」と声を掛け、二人は握手し親しくなる。そして現在、トニーは元妻のマーガレット(ハリエット・ウォルター)に近況を話しながら「何かが起こった」と言う。いいなと思った歴史観を初めて自分に適用しているかのように。それは真に生き始めたことの証である。


現在のベロニカを演じるシャーロット・ランプリングの登場は留守番電話の声から。さすがに惹き付ける。予告にもある「ぐらぐら橋」で振り返る仕草は随分年老いて見えた。後に分かるが、それこそこの映画なんである。友人に、元妻に、しまいには当の本人である自分に面と向かって「君はミステリアスだ」と言ってのける男に対して「You can't imagine」と返す女がランプリングって、これ以上のキャスティングがあるだろうか。トニーが色々な人と会う中、彼女との時のみ、昔ながらではなく現代的なカフェなのが面白い。彼女の選択なのだ。


尤もこの映画は「男」「女」をあまり問わない。私はブロードベント演じるとんでもなく無神経な主人公にずっと心沿いながら見て、終盤の病院での「変わりたいんだ」に泣いてしまった(ちなみにこの場面の最後の「Come on, baby」という洒落はブロードベントのアドリブのように思われた、なぜか不意にそんなふうに思った・笑)。始めの朝には「open」としながら決して開かれてはいなかったお店を外の道から見た最後の画は、彼が心を開いて皆と同じ時間を歩み始めたことを表している。例え「幅の狭い」店(人生)でも心掛け次第でそれができる。