ムーン、66の問い


EUフィルムデーズにて観賞、2021年ギリシャ・フランス、ジャクリン・レンジュ監督作品。

同性愛者であることを隠して生きてきた男は多発性硬化症によって体の自由を失いクローゼットのより奥に閉じ込められた。疎遠だった娘が帰国し父との苦しいダンスを通して(実際にはある物を見つけるのが切っ掛けだが)その心の内を知り、二人は共に解放される。作中最後のダンスを踊るただ二つの手の甲が美しかった。

日本なら『家族ゲーム』的と言われる横並びで目を合わせない親族の前で、見世物のように、アルテミス(ソフィア・コカリ)と父パリス(ラザロス・ゲオルガコプロス)の最初のダンスが行われる。その前にハグがある。介護士が「ダンスのようなもの」「ハグのようなもの」と言うからそう映るわけだけど、確かにそうである。そのぎこちなさ、辛さを振り切るように彼女は後に一人無心で踊る、洗車の水だまりに足を取られながら。映画はアルテミスが幼い頃に父に抱かれていたことが示されて終わる。

地元の友達の水中エアロビクスに付き合うアルテミスは濡れたくないと一人プールに入らない。それが父についてはピンぼけの眼鏡、這っての移動、震える手での着火など同じことをやってみる。むさぼり食うこと(恋慕の発露、あるいは性行為の代わり)もしてみる。この映画の面白いのはある時点までは彼女の行為を父のそれよりも先に映すところで、振り返ると彼女の内に何かがあったのだとも思える。車椅子の購入に際し父の目の前でそれを操って見せる場面で初めて二人の時間が重なったように見えた。後に病院で「車椅子を使うと病状が悪化する」と言われる(アルテミスは「全身筋肉痛で無理だ」と返す)のは冒頭の「介護するのは身内の方がいい」同様こうした親子を社会が閉じ込めていることの表れであり、その中で二人が理解し合ったのは随分な皮肉だとも言える。