メルテム 夏の嵐


EUフィルムデーズのオンライン上映にて観賞、2018年、フランス・ギリシャ、バジル・ドガニス監督。

舞台は「渡り鳥を見るのに世界一の場所」、レスボス島。主人公エレナは母が恋人マノスと暮らすのを嫌がり父の住むパリへ渡り、連絡を絶ったまま母を亡くしてしまう。それから一年、家を相続して売却するため友達二人と故郷へやって来る。

エレナを性愛対象として好いている友人ナシムにちょっとした嫉妬とすれ違いから「根なし草」と毒づかれ怒って席を立ってしまうことからも、オープニングより何度も繰り返される海中の姿は彼女が「地に足が着いていない」ことを表しているんだろう。それがかの地に根ざすまで、元の名「メルテム」に戻ってギリシャ語を口にするまで、自分の中と外の愛を受け入れるまでの話、それが何によって促されるかという話である。

マノスは警察の科学捜査部で溺死した難民のDNAを再構築するという仕事をしており、学会では「数の裏にある個々の存在を見てほしい」と訴えるが、エレナがシリアから来たエリアスに関わろうとすると「当局の許可なく難民を助けると斡旋業者と思われる」「(彼と離ればなれになった母親が生きている)確率は限りなく低い」などと引き離そうとする。映画の終わり、エリアスは、彼の母はどうしていると思うか、見ているこちらもまた問いかけられる。

地元の祭りに向かう際にアラビア系のナシムとアフリカ系のセクが「俺たちみたいなの見慣れてるかな」と言うとエレナが「難民がたくさんいるから大丈夫」と返す、会場では「ようこそ難民の方々」と歓迎される、浜辺で知り合った男達に自己紹介すると「本当に純粋なフランス人か」と言われる、何かあれば身分証を提示せねばならない、「難民の多い土地」では、いや、いまや世界では「そうでない人」と「そうである人」とを見分けることが頻繁に行われているのを痛感させられる。そういう場所でよりよく生きるにはやはり人間愛が必要なんだと思う。

三人の軽口の応酬に、エレナは一人じゃ故郷に戻れなかったに違いないと思う。旅の間もそれぞれで、ナシムは断食をしている。「今日は食べようかな」にセクが「ラマダンにアフターピルはないぞ!」と返すのには笑ってしまった。