探偵マーロウ


映画はヒトラーが独ソのポーランド占領について話した内容のニュースに始まり(このような映画を見るといまだに『マッチ工場の少女』の作中初の声が天安門事件のニュースだったことを思い出す)ナチスによる焚書の撮影所での再現に終わる。これにより作中のセリフに散りばめられた文学の引用に特別な意味が付与される。依頼人側だけでなくリーアム・ニーソン演じるフィリップ・マーロウやコルム・ミーニイ演じる元同僚の刑事バーニーも演者同様アイルランド系とはっきり示されるが原作小説『黒い瞳のブロンド』にあった内戦の話は出ず、もっと広義の支配の話になっているように思われた。あるいは戦争を生き次の戦争までも生きる話。

(以下「ネタバレ」しています)

黒い瞳のブロンド』はマーロウが依頼人の「美女」と寝て惚れてぐだぐだしたあげく彼女の心にはずっと「あの男」がいたと分かる話だが、この映画のマーロウとクレア・キャヴェンディッシュ(ダイアン・クルーガー)は寝ない。マーロウが「あなたは依頼人だし私の半分の歳だ」と断り二人は踊る。そこから話は小説の筋を大きく反れ、「地道に働くしがない労働者」であることを選び続けているマーロウとルー・ヘンドリックス(アラン・カミング)に拾われた運転手セドリック(アドウェール・アキノエ=アグバエ)のbig guy二人は「不平等」を作って稼いでいるヘンドリックスとフロイド・ハンソン(ダニー・ヒューストン)をぶち殺す。L.A.が、そっちが何でもありならこっちだって何でもありだ。この場面にはちょっと笑ってしまった。

マーロウが屋敷に出向くと金髪の女が二人、小説では瞳の他は似ても似つかないとされていたのがここでは母のドロシー・クインキャノン(ジェシカ・ラング)と彼女が愛人の助言で姪として接してきた娘のクレアは似た髪型にすらりとした体躯でそっくりである。香水会社から改変された「女優」というドロシーの職業は搾取の対象であり、15年も処女のふりを続け財産を管理されてきた彼女は今や「焼きが回って」引退せざるを得なくなっていた。マーロウが二人を呼びつけた席で母が娘に言うには「お前も王女メディアを演じる時が来る」、女の進める道の幅は狭いが、それでも内面まで似た二人の女はそれぞれの道でトップを目指す。この女達は男を好きになどならない、いやこの物語では誰も恋などしない。それが心地よい。

小説ではニコ・ピーターソンの妹リン・ピーターソンに対するマーロウの、クレアに向けられるように性的ではない人情が心に残ったものだけど、映画では他の女も同様に人間扱いしている(ように見える)ためその要素は目立たない。しかしはっきり映る無惨な最期に後ろ盾のない女の末路が示されていた(彼女がクラブに出入りできるのは売春しているからなのだ。そういうこと…それでもって目くらましされていることが今も多々ある)。クレアの他にニコに「股を開いていた」アマンダがほぼ死人メイクで明るく喋るのがそれと対になっているようにも見えた。マーロウの「順調なようですね」「(プロデューサーと寝るよう勧めるなんて)お母様は間違っていますね」なんて言葉、そんなものを聞いていたらしがなくしか生きられないかもしれないが、それでも心に染みる。