地球に落ちて来た男



シネマート新宿にて「一周忌追悼上映」が行われているとのことで、滑り込みで観賞。
2002年くらいだったか、私が「DVDプレーヤー」を購入したのは、この映画が「DVDで発売」されると決まった時である。それにしても見るのは十年以上ぶり。一年前はしばらく曲も聴けなかったけど、今はもう、死んじゃったものはしょうがない、という気持ちになった。裏を返せば、いつだって居ると思ってるということだ。


オープニング、ボウイ演じるトーマス・ジェロームニュートンがフードを外した後頭部が初めてアップになる時、うなじのあたりで切り揃えられた髪を見て、最近誰かがこれを染めて切ったのだと思う。手の甲の産毛や指の傷、爪の中の汚れ、吐瀉物を浴びた指先のきらめきなんかに、初めて目を囚われる。でかく見えるのはいいことだ。
ちなみにキャンディ・クラーク演じるメリールウの、ジャンプスーツの中に付けている下着の線もはっきりと見えた。


エレベーターで「気を失った」ニュートンをメリールウが抱き抱えて運ぶ場面はとても印象的だが、私にも出来るかな?とつい想像しちゃうからというだけじゃなく(笑)これは大事な場面なのだ。後にニュートンが内から鍵を開け(しかしドアは開けない)ベッドに横たわり(しかし呼びはしない)自身の「本当の姿」を晒す時、まず彼女は「私はあなたを持ち上げた」と言うのだ。
だって思わない?うまく言えないけど、誰かを好きになった時、この、身長何センチ、体重何キロの何らかの中に自分の好きなものが入ってる、限られて入ってるだなんて、不思議だって。まあ私は四十年生きてきて、そんな気持ちになれたのは二回くらい、数ヶ月くらいだけど。


この映画の面白いのは、ボウイの体の中で最も「個性的」で「美し」く「有名」な、あの「瞳」が、「作られたもの」であるという、その設定である。しかもダメ押しに、処置されて「もう戻らない」んだから。髪や体型や服装に比べえ瞳は「変える」のが難しい。それを「実は『変えた』ものなんです」という話なんだから、変なことを言うようだけど、私がボウイならあの役は楽しいよ(笑)
加えて初めて気付いたことに、ニュートンと「組む」ことになるファーンズワース(バック・ヘンリー)も登場時からやはりその「目」が特徴的で、捕えられる時にはまず眼鏡を取り上げられ、「何も見えない」まま放られて死ぬのだ。「不老」のニュートンの目が見えなくなるのは、より、徐々にだけども。


再会したベッドにて、女がバナナが欲しいと言うと、男は銃でもっていつでもお前を殺せると言う、しかし結局二人はその銃で狂騒のうちに遊ぶ。ああいうセンスは好きだ。
メリールウは便宜上「女である」だけだと思っていたけれど、改めて見ると、彼女は「この国(アメリカ、あるいは人類)には何でもあって私たちは豊かだ」「彼らはあなたが宇宙人と知れば返してくれる」と信ずる者、なんだな。その他、原作由来なのか、「今」見てこそ面白いセリフが色々あった。「あなたが私の星に来たら、私達だって同じようにしたさ」。