Rodeo ロデオ


話は主人公ジュリア(ジュリー・ルドリュー)がバイクを盗まれるのに始まる。彼女はポロシャツを着るような中年男性が売りに出しているバイクを盗む。後にまた盗まれると(今度は自分が乗るためにではないが)別の「金持ち」から盗む。弟に「200ユーロ出せば買えるぞ」と言われながら150ユーロと引き換えに電話で父親のふりをしてもらい、「パパが試乗しろと言ってたから」と男に保護されている女を装って、髪を唾で撫でつけたりアイロンで伸ばしたりして普通の女を装って、盗みを働く。古より映画には単独で、組織の中で、「女」であることを利用して犯罪を働くキャラクターが出てくるが、ここにはその枠に「はめられる」様が焼き付けられている。

冒頭の道中にジュリアが見ている動画に女が映っていたので『スケート・キッチン』を思い出したけれど、バイカー達が技を繰り出し合う場に行ってみると女は「体の線が出る」服装で男の技を見る、あるいは後ろに乗せてもらうだけの存在だった。現実がそうなのか現実の何かを写し取っているのか、どちらでも意味するところは同じだ。そこへそれとはまた違う女、犯罪組織のボスの妻であるオフェリー(アントニア・ブレジ)が登場する。手下の男達のところへ表れる時、彼女はおそらく無意識に、ジュリアが決して見せない類の笑顔を見せる。私達にとってあれは男社会へ出る時の防壁のようなものだ。

(以下「ネタバレ」しています)

こんな世界、乗り物から風を感じるどころか風そのものにならないとやっていられない。バイクで飛ばすジュリアを捉えた映像のシンプルな疾走感が素晴らしい。やがてジュリアのそれは、刑務所にいる夫に支配され家から出ず子育てだけのオフェリーの真逆であると分かってくる。作中ジュリアを男達が性的な目で見ていると示すカットと彼女の目に映るオフェリーの寝姿が対になっていることから、その愛情の種類が窺える。ジュリアはオフェリーが自身で閉め切っていた窓を開け彼女を外へ連れ出すのだった。ラストについては、序盤でジュリアを救ったアブラが死後も彼女の元に現れることを考えると、彼女自身も死んでも生き続けるということなんだろう、窮屈な肉体を捨てて。この語りは彼女の出自によるのかもしれないと思ったけれど、カリブのどこ(どの民族)だったか無知ゆえ聞いても忘れてしまった。