苦い涙


ファスビンダーの『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』と同じく「優しくすると立場が弱くなる」という基本の確認に始まる本作は、オリジナルが男ならではのやり方で自分を支配した夫と別れてやったと語るペトラがハンナ・シグラ演じるカーリンを見るや権力者の私が支配してやろうと乗り出すのが面白かったのに対し、「ものを考える芸術家には慣れてない?」とのセリフに明らかなように「女」を「芸術家」に変えている。ファスビンダーが「体を取った」物語をオゾンは自分に寄せたんだろう。

「もっとお互いを知ろう」と何をするのかと思えばいきなりの撮影というのに始まりドゥニ・メノーシェ演じるピーターの、映画監督なるものの醜さが押し出されているも、イザベル・アジャーニ演じるシドニーの「映画では弱い者の味方なのに外では強い者につく」なんてセリフは随分唐突だし、彼女とアミール(ハリル・ガルビア)がタクシーの後部座席に並んだ、監督に復讐、いや嫌がらせ程度かな?する役者の会といっても通るような絵面も嘘くさい。そこかしこに無理があるように見え、やはりこれは女同士のための物語なんじゃと思ってしまった。

話はカール(ステファン・クレポン)がブラインドを上げてピーターの目を覚ますのに始まる。他の部屋から回って来るという、一段踏んでいるソフトなところがオゾンらしい。『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』と異なり建物の外観がインサートされるばかりか(ファーストショットでこれはドイツだと思わせる面白さ)室内から常に外が見え外の場面もあるのは、自分の元から去ったカールを見送ったピーターがカーテンを引いて閉じこもりアミールの映像に涙するという姿に映画が終わるのに最も表れているように、視点が客観的であることを示している。

オープニングにファスビンダーの目がでかでかと映し出されるのにびっくりしていたらラストカットはいわばファスビンダー役のドゥニ・メノーシェの目、そのあまりに違うこと、そもそもファスビンダーの映画が笑えもするのはまさに笑えもするという意味なんだけどオゾンのは最初から笑わせに来てるもんな、などと思っていたらエンドクレジットの最後はファスビンダーハンナ・シグラの写真。ファスビンダー印に包まれた贈り物…記念品といった印象が残った。それにしても本作のシグラはほとんどゲスト出演という感じで勿体なく思った。