To Leslie トゥ・レスリー


冒頭よりレスリーアンドレア・ライズボロー)は誰にも目を合わせてもらえない。宝くじに高額当選するも6年後には無一文になってしまったアルコール依存症の彼女が金を貸してよ、遊ぼうよ、となりふり構わず男達に訴えても皆、目を逸らす。そんな彼女が自分から目を伏せる相手は自身に暴力を振るう男。実際また殴られる。男が女の目を見ないのと女が男の目を見ないのと、その理由はこんなにも違うと映画は一応(なぜだか一応、という感じがする)言ってくれる。

久しぶりに会う息子ジェームズ(オーウェン・ティ―グ)は母親の横で脇を向いていた6年前のニュース映像とは異なり前髪を上げ瞳を出している。車を運転しながら助手席のレスリーを見る、彼女も見返すのにほっとしていたら、依存症ゆえルールを守れない彼女は住まいから追い出されることになる。彼の手配で嫌々ながら故郷へ帰るがここでも誰も目を見てはくれず、かつての友人ナンシー(アリソン・ジャネイ)宅から鞄を外に出されるというやり方でまた追い出される。

レスリーが置き忘れた鞄…彼女の大切な物を手にしたスウィーニー(マーク・マロン)は彼女を気にかけ、二人は目を合わせる関係になる。するとドア越しのように顔を合わせずとも会話が出来るようになる。一方で目を合わせてもらえない男にレスリーが抱きつくのは見合わずとも接近できるからだが、そのやり方は勿論上手くいかない。

映画は後半、アルコールを断っていたレスリーがバーで酒を注文するが…という辺りから、何と言うかエンタメ業界の手癖にまみれたふうに私には見えてきた。祭りで彼女に嫌がらせをした男へのスウィーニーの暴力、「なぜ私をかまうの?」への「言わなくても分かっているだろう」には彼の彼女への関わりは色恋ありきなのかとがっかりしてしまった。そもそも何度もなされる年長の白人男性からの女性への諭しが、マーク・マロンが備える優しさを持ってしても微妙なところだ(彼の演じた役としては『スターダスト』でボウイを信じるマーキュリー・レコードのロブ・オバーマンに通じるものがある/「おれとロイヤル(アンドレ・ロヨ)こそがあんたの宝なんだ」なんて勝手にも聞こえるセリフはむしろ良い)。

スウィーニーの気遣いかモーテルのドアを開け放ったままの場面が何度もあるが、レスリーの部屋から見える、駐車場の向こうの道を車がゆく光景は、人はどこへでも行ける(が、しかし…)ということを表しているようだ。彼女がアイスクリーム屋の廃墟から道を挟んでスウィーニーとロイヤルの日常(そこには彼女を心配するという新たな要素が加わっている)を見る場面は味わい深く、あのとき何かが変わったように思った。