チャンシルさんには福が多いね


序盤にチャンシル(カン・マルグム)が夢に見る「そばにいます」と後に実際に口にする「そばにいてください」から、当初の彼女の願いが分かる。そばにいてほしい。夢の中の抱擁のように、肉体を感じられるくらい、でも苦しくない程度に、誰かと一緒にいたい。そんな彼女が生み出した「レスリー・チャン」(キム・ヨンミン)は都合と遠慮とが合わさってか「いつも隣の部屋にいます」と言う。

新居に訪れたソフィー(ユン・スンア)が窓の外を望んで「私の家も見える」。仕事を失ったチャンシルはその家で家政婦として働くことになるが、ベランダでゴミを挟んで向かい合う二人の姿にふと、彼女にとってこれは生活の糧でも暇つぶしでもなく誰かと一緒にいる名目なんじゃないかと考えた。「一緒にいる」ことを求めるあまり構えてしまい、ただ「一緒にいる」ことができない。だから大家のおばあさん(ユン・ヨジョン)とは宿題の手伝いというんで顔を合わせるし、自分と時間を合わせて帰路を共にするキム・ヨン(ペ・ユラム)と恋人になりたいと思ってしまう。

終盤、打ちのめされたチャンシルに、レスリーは「どこにいても応援しています」と伝える。別に、実際に一緒じゃなくたっていいじゃないかと。あなたにはもっと、真に欲しいものがあるんじゃないかと。翌朝、彼女はおばあさんと散歩と食事を共にする。ソフィーと皆が訳もなくやってくる。チャンシルがほぐれていく。そうしたフィクションは多いし現実もそうだと言えるけれども、この映画でも、彼女に対する様々な示唆が彼女自身、あるいは他者から実はずっとなされている。いつも隣室にいるはずのレスリーが時に留守なのは自身の疑念の表れだろうし、おばあさんは「それじゃあもやしの根をとるのを手伝って」と誘うことで何もなくたって何かある、という人間関係を提示してくれる。

ホン・サンス監督作のプロデューサーとして活動してきたキム・チョヒによる本作は、見た目が彼の作品に似ている。私はホン・サンスの映画から、男性とおつきあいする時にこれさえなければ愉快なのになあと思う、その「これ」ばかりを感じてしまうのでもう見ないようにしているんだけども、この作品で最もホン・サンスらしいと思った映像は(直後にそうと分かることに)チャンシルさんの「夢」の場面だった。ちょっとはっきりしないけれども、そういうことか、とふと思った。