フリー・ファイヤー



映画が始まるとまず文章が出るのに、今年こういう前説を見るのは「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」とこれだなと思う(クーリンチェは昔のだけど)。面白い映画だった。痛感したのは、誰でもそうしてるだろうけど、非常用持ち出し袋の一番取り出しやすいところに入れておくべきはやっぱり手袋だってこと。大事大事。


(以下「ネタバレ」あり)


へ〜出るんだ、程度の期待度だったキリアン・マーフィーが、まさかのキリアン史上、最高にセクシーだった。登場時にはこんな「普通の男」の役なんて珍しいなと思うも、撃ち合いが始まるや、大袈裟じゃなく彼の映る全てのカットにセックスが満ちていた。あの手で顔を掴まれたら即、昇天だ。クズのサム・ライリーに「ハンサム」のアーミー・ハマー、なまってる「南アフリカのイギリス人」のシャルト・コプリー、やたら腰チラするジャック・レイナー等々、他の皆が「イメージ通り」(だけど悪くない、いい)である中、キリアンだけはどこか地に足が付いていないように思われた。


感想をちょこっと検索してみたところ、撃ち合いが始まる切っ掛けを「しょうもないこと」というように書いている人がいたけど、しょうもなくないよ。「自分のナンパを断った相手を酒瓶で殴る」、その精神から多くの暴力、抑圧が起きるんだから。実際、唯一の「女」であるブリー・ラーソンは、キリアンが銃の種類が違うことにつき「問題だ」と蒸し返した際、横で「女を殴る男もね」と口を挟む(しかしジャック・レイナーに撃たれると「あんたの従姉妹に同情するんじゃなかった!」となる・笑)。女を殴ったサム・ライリーの死に様が一番残酷だったのも意図的なんだろう。


「女」といえば、登場人物の中でラーソンだけが自分の荷物を持っており、最後まで決して手放さない(そりゃあ「女」はバッグを持つものであるが)。冒頭彼女は「君はFBIじゃないよね」と冗談めかして話し掛けてくるキリアンに「私は何でも自分のためにやる」というようなことを返すが、車を降りて鞄を斜め掛けし手を添えて歩き出す姿には、自分を自分で守り自分のために生きていることが現れているようだった。私も同じタイプなのか?あの鞄はかなり理想的に思われた。


服装や調度だけじゃなく、「チャーリーズ・エンジェル」やブラックパンサー党IRAなどのセリフから時代が分かる。笑ってしまったのが「アイガー北壁かよ」で、脚が使えず這っての移動というのは山岳ものでたまにあるし、確かにそう見えた(笑)欧米の人にとっては常識なんだろうけど、例えば「アイガー・サンクション」は75年の映画だし、アイガーがより話題になった時代というのがあるんだろうか?などと考えた。