EUフィルムデーズにて観賞。2021年ルーマニア・チェコ、エマヌエル・プルヴゥ監督作品。とある一家の娘マグダが父クリスティにもらったネックレスをボーイフレンドのユリアンと訪ねている病院で少女にあげてしまう…のに話は始まる。
終盤マグダが言う「パパは自分が何をしているのか考えていない」、これはそのことについての話である。人は自分が一体「何」をしているのか考えていない、いや考えることができず(これは彼の口から出る「神」の話とも関係あろう)、クリスティは自身の言動が「何」なのかを外に判断される状況になって初めてそれに振り回され駆けずり回ることになる。
尤も娘が言うのは冒頭の朝の一幕からも窺える、欲望のままにも見える父の振舞いのことである。全ての根は同じだ。中盤「一人にして」と自室のドアを閉めようとするマグダに「分かった、だけど目の前でドアを閉めるな」とは以前Twitterで話題になった、配送業者が帰る時はしばらく待ってから鍵を掛けた方がいいという話、に対する女性達の反論を思い出した。「自分が何をしているのか考えることができない」のは私だってそうかもしれないが、拒否された(と思いた)くないという勝手を表明するのは男性に多い。
(以下「ネタバレ」しています)
ユリアンのことを愛しているミハイが運転中にちょっとした油断から女性をはねてしまうのに話は終わる。人は(車に乗るということをしていると、と言ってもいいかもしれない)何をしているか考える余地もなく人を殺しもするというわけだ。これにより映画が何を描いてきたかがより明確になるが、私はこの皮肉なセンスはあまり好きじゃないなと思った。