カルメン


EUフィルムデーズにて観賞。2022年マルタ・カナダ、ヴァレリー・ブハジャール監督作品。80年代のマルタ島の教会を舞台に、牧師である兄の家政婦として生きてきたカルメンの独り立ちを描く。

田嶋陽子の『新版 ヒロインは、なぜ殺されるのか』にジョン・セイルズの『リアンナ』(1983年アメリカ)は現代の『人形の家』だ、家を出た女に生存の道がなかったイプセンの当時は主人公のその後につき議論がなされたが今ならどうするかを描くことができるとあったが、思えば本作のように男が「死に逃げ」して自立の道を踏み出さざるを得なくなった女を描く映画というのも多々ある。これもそうだが明るい調子でも奪われた時を思うと深刻な話だ。

兄の死と共に生活の手立てを失ったカルメンナターシャ・マケルホーン)は地元の偉いさんの元へ相談に行く。「至福」との言葉にそれはいつ来るのか問うと「死ぬ時に決まっているだろう」、「家族はいるだろう」にいないと答えると「マルタでは皆が家族だからな(!笑うしかない)」。恵まれた側の人間はこんな全くもって意味のない言葉、やりとりをもてあそぶものだ。後にカルメンが告解室でする活動はそれの真反対であると言える。すなわち困っている人に真に寄り添った回答。

やがてカルメンは教会の中を靴を脱いで小走りするようになる。掃除も洗濯も料理もせず、外食したり作ってもらったのを食べたりする。自分の臭いを嗅ぐ場面にどうするんだろうと思っていたら体を洗うような様子はないが、終わり近く海に飛び込む。男達に殺されたかつての恋人が姿を消し、今、そばにいるリタが助けてくれる。

抑圧を描く映画にはいまだ、ままあることに、ここでは恋愛は…異性愛ばかりだが…自由の象徴だが、おそらく結婚に進むであろうカップルを描いていながら当の結婚は地獄のように表現されている。その背景には教会の警備員がカルメンについてリタに返す「若い時は魅力的だったんだ」があるように思われた。年を取ったからどうこうというんじゃない、時をどう過ごしてきたかという話なんだと。