ミルカ



映画の最後に大きな文字で「based on true life」。「空飛ぶシク教徒」と呼ばれたインドの陸上選手、ミルカ・シンの半生を描く。
オープニングは1960年のローマオリンピック陸上競技400メートル決勝、報道によればこの試合は「インドスポーツ界にとって最大の悲劇」となった。先頭を走っていたミルカ(ファルハーン・アクタル)は、コーチの「走れ!」にかつての父の「逃げろ!」という声を重ね(この、タイトルに使われている「Bhaag」という言葉にはどういうニュアンスがあるんだろう?)後ろを振り向いてしまい、入賞を逃す。その理由は、また彼がパキスタンとの親善試合への参加を拒む訳はなぜか。


映画はミルカのコーチ二人が「目的地(ミルカの自宅)まで時間がある」列車の中で、彼の生い立ちをスポーツ担当大臣に語るという形式。後にミルカが「最高の敬意」と共に自らのメダルを贈るコーチのグルデーウ・シン(パワン・マルホトラ)いわく、「彼は宝石だから磨く必要は無かった」。とはいえ勿論その鍛練の過程、加えて「偉くなった」のに「周りが離れていく」悩み、浮かれてしまったための失敗などが描かれる。そして物語は「現在」に至り、彼は最大の苦難に向き合う。それはインド・パキスタン分離独立の際、国境近くの故郷の村がイスラム教徒による虐殺の犠牲となったことに由来していた。
ミルカは「軍人」であり、「偉業」ゆえに将校になる。パキスタン行きを渋る彼に首相は「軍人ならば国民のために身を捧げなければ」と促す。しかしラスト、勝利を得た彼は少年時代の自分と並び走る。「奉公」と自らの傷の克服とが「両立」し得るのは、彼が「宝石」だったからかな、とふと考えた。


作中の「現在」は1960年。当時の列車が私にはまず素敵に見える。大事な髭をハンカチで覆って(作中の男性達の髭の見応えがあること!)乗り込んだグルデーウが持参した水筒やその中味のチャイがいい。映画を通じてインドの文化に触れられて楽しい。
少年時代のミルカが義兄に「英語を習ってるんだって?」と声を掛けられ、父に言われて皆の前で披露する場面に、地域差はあれど、この世代の人々から英語を学んできたのかな?などと思う。「兵隊になりたい」と言っていたミルカが成長し入隊すると、その服装や動きなど、軍の訓練の様子も私にはまた見慣れないもので面白い。
ミルカの姉が夫に暴力を振るわれ続けるも、何の償い「めいたもの」も無いまま、最後の試合の際にはラジオの前で抱き合って喜んでいるのは釈然としないけど、映画化に際して他の部分は「変更」できても、「時代」のせいもありここは変えられなかったんだろう。今は彼女やミルカの後の恋人が受けるような被害が出来るだけ無ければいい、と思う…


始まって一時間程経ったところで、初めて「歌」が流れる。難民キャンプでちょっとしたギャング(「ゴロツキ」)になったミルカが列車の上を駆けるうちに青年になり、美女に出会い、恋をするのを歌が彩る。後に襲われ怪我をしたミルカの包帯が走るにつれて外れて揺れるのと歌が合わさる映像なんてのも面白いけど、あまりに痛そうで正視できない(笑)この場面に限らず、本作にはほぼ常に汗と血が滴っている。
「ダンス」の方は、いわゆる「インド映画」めいておらず「自然」な感じのものばかり。ミルカ自身はきっちりとは踊らないし(恋におちた時に思わずといった体で躍るのが可愛い)、何せ最初のダンスシーンがオリンピック開催地のメルボルンなんだから。二度目のダンスの、軍の面々が踊る場面も愉快だ。
その替わり?「走る」姿は練習や試合以外にもたくさん見られる。ミルカの作中最も年少時の「走り」は「足が焼けそうな」砂の上を走って家に帰るという楽しいものだが、イスラム教徒に家族を殺されての逃亡もある。因みに「走る」以外の動きでは、コーチと話をする時と、好きな人を物陰で待つ時の「しゃがむ」姿が同じなのが何となく可笑しい。


冒頭のローマオリンピックの場面からして、ミルカがいかにも「スター」然と撮られており楽しい。ミルカという「スター」、映画の主役という「スター」を撮っているのだから当然か。高地トレーニングの「縄跳び」がくるくると試合に繋がる演出も豪快で、随所に華が感じられ面白かった。