ホーホヴァルト村のマリオ


EUフィルムデーズにて観賞、2020年オーストリア・ベルギー、エフィ・ローメン監督作品。クィアの若者が生き延びようと必死にもがく物語。オフビートの数滴で(母親がふと、息子が盗んできたある人物のカトリックの喪のベールを被ってみる場面など)見ている私は息を整えることが出来る。監督の趣味がグラムロックで(枕元にダンカン・ジョーンズ月に囚われた男」のポスター)テーマカラーらしき朱色もそう見えてきたんだけど恐らく別の意味がある、何だろう。

オープニング、服を脱ぎ捨て裸であるいはドレスでヒールで踊るマリオ(トーマス・プレン)、その舞台は跳び箱やマットなどから体育館?と思っていたらやはりそう。父親が管理の仕事をしている出身小学校のホールなんて場所が彼の状況と心境を表している。好きなダンスの専門教育は受けられず、赤い液体を出す肉体労働を掛け持ちして家計を支え、「ゲイはいない」とされている村で幼なじみのレンツ(ノア・サーベトラ)…同じくゲイあるいはバイだが彼への恋愛感情はない…への思いを隠して生きている。

マリオはナイトクラブで銃乱射に遭い、一緒だったレンツは殺される。この「突然」感から、ヘイトクライムの標的とされるような人々はいつどこで被害に遭うか分からず常に危険にさらされていることが分かる。村に戻ると生きていてラッキーだったと言われる。母親の「生きていてよかった」はその裏返しである。その理不尽の中で彼は息をしようと、脈を打たせ続けようと、自分を救ってくれるものへと手を伸ばす。それは「レンツを殺したテロ野郎」などと差別を受けているムスリムの人々であった。パティシエ学校で一緒だったナディムを演じる俳優があまりに役にぴったりで素晴らしい、あれは人をいざなう、端的に言ってやばい顔だ。

家業ではない肉体労働につき、親子のどちらかが休むことになればもう片方がシフトに入ってクビにならないようにするというくだりが確かセリーヌ・シアマの「ガールフッド」にもあったけれど(そちらはホテルの清掃、こちらはホテルのレストランの給仕)、この描写は実に息が詰まる。あちらでは子が親の、こちらでは親が子の代わりに入るが、どちらも子どもは逃げてしまう(こちらでは親の方も)。ちなみにこの映画ではマリオの母とマリオの子を産んだ女性が共に女手だけで子を育てており、村に「思うようにならない」ものが蔓延していること、彼もまたそれに加担していることが伝わってくる。