ミッドサマー


オープニング、ダニー(フローレンス・ピュー)の置かれた状況に、もし私がこうならどんなにきついだろう、どんなにどうしようもなくなるだろうと思う。映画の最中に登場人物の心をここまで想像することは実はそう無く、自分の心の動きに自分でも新鮮な感じを覚えつつ見ていたら、これはアリ・アスター監督によってそう意図された映画、全くもって「彼女にとって」の物語なのだった。
この映画では女は(ダニーと友人の電話から分かるように)支え合うもので男は支え合わないものと分断されており、男であるクリスチャン(ジャック・レイナー)は彼女と対照的なキャラクターである。始め彼が他人に関わらないのは気遣いなのかとも考えたが、ホルガの祭りであるものを見るやここの論文を書くと言い始めたり本が盗まれれば「ぼくは関係ありません」が開口一番だったりと、悪人じゃないけれど安全圏から美味しいところを食べてやろうとしている奴なのかもと思い始める。

(以下少々「ネタバレ」あり)

ホルガは女にとって「反転」する前より住みやすい世界のように見える。男によって若いのと若くないの、美人と美人じゃないの、働いてるのと働いてないの、などと分断されない。セックスの相手を自分で選ぶことができ(マヤの視点で見る男達の群れよ)、それについて否定されたり評価されたりしない。村のまとめ役らしき女性シヴの大きさと招かれたクリスチャンの小ささよ(距離の近さに膝をずらす辺り、女性は身に覚えがあるのでは)。
これまでした嫌なセックスに比べたらこの映画のセックスの方がいいという女は結構いるのではないか。クリスチャンの、マヤが女達に伸ばした手を掴む勘違いぶり、その後に起こることへのきょとんとした顔には、女はどういうセックスをするか決められる機会が殆ど無いから男もそういう体験をしてもいいだろうと意地悪く見てしまった。

ジョシュの「インドにもそういう風習が…」を全く無視する態度から、ホルガの人々は外に全く興味が無いことが分かる。反転前の世界も反転後の世界も閉じている。女にとって反転前よりもよいにせよ、ホルガは恐ろしい場所である。排他的で差別的、セックス含む全ては管理されている。その他諸々。でも女にとっては「まし」、それに反転前には得られなかった「共感」がある、だからダニーはお薬ばかりの世界において超、正気で最後に自分の道を選ぶのだ。
ペレは「ぼくは干渉されず自由にやってきた、同時に家族がいつもついていた」と言うけれど、そんなことは犠牲(彼の連れてくる「生贄」)なくしては成り立たない、つまるところよい世界などどこにも無い。これからもよい世界を作るために少しずつでもがんばろうと思わせられた。