東京五人男


NHKBSで放送されたものを観賞。「喜劇映画の巨匠と呼ばれた斎藤寅次郎監督が、終戦直後の昭和20年11月頃に東京で撮影した映画」だそうで、「芋のつる」を食べた翌日にぴったりだと思い…って、作中じゃこの頃はもう、実の方しか食べてないけど。色々と「面白いもの」ばかりが映ってた。


「五人」とはエンタツアチャコ古川緑波柳家権太楼(初代、初めて見た!)、石田一松。軍需工場帰りの満員列車の中で「早く東京に着かないかなあ」の後、カメラは「東京」の焼け野原をぐるりと映す。彼らが貧乏長屋に戻ると、自分達の葬式が行われている最中だった…というエピソードに始まり、いわゆる「庶民が明るくたくましく生きていく」姿がスケッチのように紡がれていく。
長屋があるのは「櫻丘」、エンタツアチャコが働く都電は「半蔵門」経由「日比谷」行きだけど、見渡す限り何もなく、実際どこでロケしているのか分からない。疎開先から子どもたちが帰ってくる電車と駅は見もの(カラーで見たいよなあ!)


エンタツアチャコの「漫才」めいた場面が多々あり、中でも都電の前と後ろから降りてきた二人が車体の前で絡む画なんて楽しい。隣同士の家(なんて代物じゃないけど・笑)で見栄を張り合う様子を断面図?で見せるのは、私にしてみればドリフのコントの源流みたい。
また、主に石田一松が歌う風刺ソング「のんき節」による、ミュージカルでもある。しかしそれよりも、地主の息子がアップライトピアノの上で踊る旋律、という設定の音楽や(娘に更にグランドピアノをねだられた父いわく「ふたピアノか」)、疎開先から帰って来た子どもたちが解散式?で延々と話を聞かされる際に流れるきゅーきゅーいう効果音(どうやって録ったんだろう?)などが面白い。
「のんき節」の一つに「お芋の配給をするといったら、こんなにご婦人が集まりました/婦人参政権の投票の時も、こんなに並んでくれりゃよい」という歌詞がある。女性参政権をめぐるあれこれが行われてた時期だったんだ、としみじみ思う。この後、配給が行われた町角?を皆で掃除する場面が入ってるのがいい。
さらには、台風の夜に建物が流されたり、板切れをオールにして家の船を漕いだりという「特撮」まで見られる。特殊技術担当は円谷英一だそう。


本作はその「特殊性」ゆえ、観ながらどうしても、映画の「外側」について思いをめぐらせてしまう。あんなにたくさんの薩摩芋を用意するのは…でももう、大変じゃなかったのかな?セットを作ったり雨を降らせたりするのは?エキストラの人たち(とくに女性は、パーマをかけるなど髪形の整ってる人が多い)は、どんな気持ちで参加したんだろう?観た人はどう思ったろう?


そうそう、ちらっと「松葉杖」も出てきた。松葉杖で「片脚のふり」をした男が、石田一松の自転車を盗んでしまう。ちょっと懐かしい感じの笑い。