パーソナル・ショッパー



とても面白かった。冒頭クリステン・ステュワート演じるモウリーンの背後に「霊」が現れるのと、彼女の自宅のディスプレイにボーイフレンドからの着信の通知が現れるのが「同じよう」に感じられ、そこからぐんと映画に入り込んだ。モウリーンはその通知を一度目は無視し、二度目には受けて(=ドアを開けて)、コミュニケーションが始まる。


こじつけだけど、作中の「霊」と「セレブ」には共通点がある。端的に言えば、共にメッセージを受け取るのが難しい送り手である(モウリーンは作中、雇い主のキーラと面と向かっては一度も話さない)。古典的な交流の形、すなわち(送り手の意思に関わらず)送った時点で終わりとされるメッセージのあり方を今描くには、一方が霊かセレブか位しかないんじゃないか。これはそれを受け取る側から描いた話である。
モウリーンがキーラのアパートを訪ねると、一人の男性がいる。彼、インゴ(ラース・アイディンガー)はキーラに「帰れ」と言われても居座っているのだ。対して彼女は寝室のドアを開けて食い下がり、追い払われると伝言を頼んで家に帰る。


モウリーンがiPhoneで画家ヒルマ・アン・クラントに関する映像を見ながら街を移動する、何てことないくだりにまず心惹かれた。列車に乗りながら、ホームを歩きながら、エスカレーターに乗りながら、映像を見る。何かが交錯しているような感じを受けた。
少し通じるが更に面白いのが、モウリーンが不明の相手とテキストをやりとりする場面。スマホの画面がでかでかと延々と映るんだけど、とてもよかった。「R u real?」で列車が動き出し、「Louis?」で即座に機内モード。「・・・」のサスペンスは、霊との交信に使われる「はいなら一回、いいえなら二回」の「二度目があるか否か」を待つのにも似ている。


テキストでのやりとりの始めに「男か女か」と訊ねるのは「クリステン・ステュワート」らしくはないが、彼女演じるモウリーンは、相手がルイスであって欲しく、自分が望む答えへの可能性を広げたいのである。
モウリーンのセリフの日本語字幕には女言葉が使われていない。先のテキストならではのやりとりが、考えたら異言語間の翻訳、映画の場合は字幕にも通じる。すなわち、テキストの送り主が男か女かと確定するのは、クリステンの演じるこの人物が日本語を話したらどういう日本語か考えるのと同じくらい無意味かもしれない。


そもそも「映画」とは私に送り付けられてくるメッセージなわけだから、終盤モウリーンがキーラのアパートでとあるメッセージを受け取り「パニックになって」去ってしまうのが、映画を見ている時の自分と重なった。「ちゃんと」受け取っているか分からないけど、何らかの反応をしてしまうという。
私が一番重要だと思った、というか一番クリステンがかっこよかったのは、終盤ホテルに向かう前にあるものをぷっ!と吐き捨てる場面。ずっとメッセージを待っていたけれど、自分をネガティブにするものなら要らない、自分の意に沿うようにもっていってやる、という決意の表れだ。ああいうふうでなければと思う。


たまにある、ああここで終わるんだなと思ったところでまさに終わる映画でもあった。モウリーンは辿り着いた山で自分を待っていた相手からメッセージを受け取り、働きかける。面白いのは、「一回、二回」なんて一見デジタルなやりとりであっても、「一回」を嘘だと見抜いて聞き返すという非言語コミュニケーションが成立することである(これはやりとりの相手と親しいことの表れと見てもいいかもしれない)。
最後に身も蓋もないことを言えば、映画「ゴースト」世代にはこの話、ちっとも怖くない。「サイン」を約束していたところでおいそれと実行できるわけじゃない、嫌がらせしてるわけでもない、今頑張って練習してるんでしょ?と思ってしまうからね(笑)