ベルイマン島にて


まずはパートナーの男性の手による女性の表象を見るのは少々気味が悪い場合がある、ということが感じ取れる。ベルイマン「叫びとささやき」の女達が大写しになる場面の後日、クリス(ビッキー・クリープス)はトニー(ティム・ロス)の作品の上映会でスクリーンの女性と目が合い、「それ」を突き付けられてその場を飛び出してしまう。後のトークでは彼が「女性が物語を動かす」と話している。この絶妙な気持ち悪さ。会場の(割と年配の)女性達は映画作家としての彼しか見ない。

次に、作品や作家に対する互いの考えから発する齟齬というのは、考えそのものでなく表明した時の相手の態度によっても生じ得るということが分かる。眼鏡の青年とのやりとり「君(クリス)の映画の評価で彼女と喧嘩したよ、僕は気に入ったのに。結局別れてしまった」「映画のせいで?」「いや違う」。クリスがトニーとのベルイマン・サファリ(!)の約束を破って彼と海や羊の毛皮を見に出掛けたのは、ベルイマンを共有することに疲れたからかなと考えた。

私はこの、祖父母の生地だからという、ベルイマンのファンというわけじゃない理由で島にいる青年はベルイマンの孫か何かなのかと思っていた。ベルイマンが人間としてはいまいちだったにせよ、今現在目の前にいるのは好青年であるという、それって(クリスいわくの)「ハッピー」じゃないか。でもミア・ハンセン=ラブはそういう類の救いは描かない。先に書いたようなちょっとした憂鬱が積み重なるも、クリスはあくまでも作品制作を通じて前進する。しかしその作品に「何」かがあるように私には見えず、突然のラストに戸惑った。

クリスの脚本において最も重要と思われるのは、ミア・ワシコウスカ演じる主人公のベッドでの「好きな男性両方の子どもが欲しい」…ベルイマンについての会話の際のクリスの「私だって五人の男性の子どもが欲しい」の換言…が一笑に付され、悲しんでいるのに汲み取ってもらえずセックスを求められる場面だが、トニーに筋を話して相談している時、ここに差し掛かると電話が掛かってきて彼はその場を離れてしまう(後に映画でそれを見たのだろう)。映画としては面白いけれどちょっと逃げたなと思ってしまった。あるいは何にせよそんなにがっぷり組み合うことはないという話なんだろうか。