フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ



twitterのTLで「ぼかしがでかい」「ぼかしが」「ぼかし」と散々目にして構えてたのに、ぼかしがなかなか出てこない。ぼかしが必要なこと、殆どしない!終わった瞬間、近くで一人で見てたおじさんに、何なんですかこれ?と話し掛けそうになってしまった。
考えたら未読の原作はともかく「プレイ映画」とは言ってない。要するにただの恋愛映画で、恋愛映画は好きだから、見てよかった。


「SMの主従契約」ばかりが話題に上ってるけど、少なくとも本作の時点では、主人公アナ(ダコタ・ジョンソン)は「プレイだとしても」なぜこんな契約を結ばなきゃならないのか?との疑問から、二人の関係を自分の意思でもってどうにかしようとしている。契約をするか否かではなく、その内容を変えて歩み寄ろうと「見直し」をするのが面白い(それにしても、もっと明るいところでやれよと思う・笑)
「昔」のフィクションなら女が「セックス」をするまでの過程を描くところが、この話で描かれるのは、セックスしながら相手との関係を調整していく過程だ。(今のところは)「契約」を結ばないわけだから、例えば「毛皮を着たヴィーナス」のような領域に踏み込むことは無いわけだけど、「今」はそれでいいと思う。


クリスチャン(ジェイミー・ドーナン)の「過去」を聞いたアナが、「ミセス・ロビンソン」について「子どもを虐待した」とはっきり言うところや、アナの母親が娘を送り際に「男女の関係には波風があるけど、自分を知るいい機会になる」とアドバイスするセリフなど、細かいところが「現代的」でいいなと思った。 避妊具を付けるカットもちゃんとあるし。
ヒロインの周りに、「本命」以外のそこそこ見目もよければ優しくもある男が複数控えているところは「少女漫画」的であり(70年代の少女漫画を幾つか原作にしていた「大映ドラマ」に近い)、クリスチャンの会社の女性社員の服装が「男性目線のエロ」を含んでいないところは「女性映画」的である。しかしこの会社、「接客」的な仕事に就いているのが女性ばかりで、いかにも「社員」らしいのは皆男性。クリスチャンに将来について聞かれたアナが「ルームメイトと住む」と答えるのも、それは「将来」なのかと思ってしまう(笑)


肝心の「クリスチャン・グレイ」の見た目からやることなすこと全て、私にとって魅力が無いのが残念だった。冒頭まず顔の下半分から登場するんだけど、全然心が躍らない。カフェに誘っておいて、口を付けたか付けないかのうちにもう出るだなんて、そんなやつ、もう二度と会いたくないよ(笑・あるいはそんな彼が恋によって「変わる」という話なのかな)
「行為」については、えっこんな程度のことするためにあんな部屋作ったの?という感じ(そういう人だからあんな部屋を作るのか)えっもう挿入するの?というのは、まあ、映画じゃいつもそうだよね、時間無いからしょうがない(笑)アナがセックスした後すぐ寝入っちゃうのが、馬鹿っぽいと同時に「健康的」でいいなと思った。あれは羨ましい。


クリスチャンの母親役のマーシャ・ゲイ・ハーデンのウインクが素敵だった、見られて得した。