心霊ドクターと消された記憶



予告編のとあるカットから、スピルバーグの「幽霊列車」(ドラマ「世にも不思議なアメージング・ストーリー」の一篇、大好きで何度も見た)と同じ「ネタ」を扱っていると分かり、どのように扱うのかと思っていたら、「子ども」が主人公であるそちらの短編らしい切り取りぶりと違い、こちらはそれこそ列車のように、長くくねりながら走ってゆく、いや戻ってゆくのだった。主人公は妻に「前に進まなきゃ」と言うが、彼にとっては「戻る」ことが「進む」ことであった(原題は「Backtrack」=元来た道を引き返す)


(以下「ネタバレ」しています)


冒頭、目覚めるエイドリアン・ブロディ、演じるピーターの表情に、オープニングタイトルの不穏な映像を夢で見ていたのかと思う(後にそうだと分かる、映像はブリューゲルの「鳥罠のある冬景色」を元にしている)。隣で眠る妻が苦しそうな声をあげる。後で振り返ると、彼女は窓の外の自転車と雨の気配にうなされたのかと思う。一緒に眠る二人が違う夢を見ているというのが、妙に面白く感じられる。物語の前半では、彼らは「眠る」ことで自分達を守っているように、後半では、夫が「引き返」している間に妻は眠りながら待っていたように思う。


面白かったのは、舞台であるオーストラリアが、都会も田舎も欝々とした感じに撮られていること。こういうの珍しい、悪くない。冒頭の都会では雨風ばかりで、傘を手に、肌寒いのか巻物で首を守っていた小奇麗なエイドリアンが、少女エリザベスの「霊」が首をかきむしるのを目にしてから、シャツの「胸元を開く」ようになる。それは「霊」を受け入れる心の表れのようにも見える。


この物語には「分岐点」があると思った。見ながら、方向が変わるのを感じた。一つ目はピーターの調書を取っていた警察官バーバラが席を立ち水を飲むカット、これは「生きなければならない」者の登場であり、映画に、いわば「地に足が付いた」空気が流れ込む。バーバラの、始めはピーターを見ていない(ふうに撮られている)が、ある時を境に誰をも真っ直ぐ見る視線や、演じるロビン・マクリービーという女優さんの、生命力を感じさせる「普通」ぽさがいい。


二つ目は「霊」に脅かされてきた…といってもさほどではない、その理由は途中で分かる、彼らは「頼りにして、取り憑いて、事件の真相を明らかにしようとしている」のだから…ピーターが、停めた車の中で、姿を現してくれと念じながらエリザベスの名を呼ぶ場面。ここから彼は、正しいレールに気持ちを乗せて走り出す。ちょっと目頭が熱くなった。


なぜ「霊」達は「犯人」(エリザベスは「真実」を知っているのだし)に取り憑くという手っ取り早い方法を取らないのか?と思いそうになるけれど、ピーターに、娘の死を切っ掛けに「死者との道」が出来たのだと解釈した。「霊」でも特に子どもなど、うまく出現できないのかも、ああいうふうにしか出てこられないのかもと考えた(笑)ピーターとダンカン(サム・ニール)の「娘の死は過去と関係が?」「それは分からない」というやりとりは、物語の作り手の「言い訳」のようにも取れるけど、私には気持ちよく響いた。分からないのだと思った。