ゴーストバスターズ



先行上映の初日、TOHOシネマズ新宿にて観賞。小さなスクリーンながら満席。とても楽しく、踊ったり拍手したり、したかった。


開始早々、クリステン・ウィグの「動き」ににんまりしていたら…順に登場する4人がとにかく最高。メリッサ・マッカーシーの、前日に見た「SPY」の「本当は違う仕事をしたい事務員」とは全く違う自信に溢れた表情に、「女優」だなと思う。ケイト・マッキノンの、私からしたら「キャロル」のケイト・ブランシェットの一億倍は魅惑的な姿、レスリー・ジョーンズの「プレゼン」の力強さ。
先の二人はもともと馴染み深いけれど、これまで見たことのなかった後の二人がよかった。特にケイトの、スクリーンのこちらまで口説きにくる勢いには参った。「DeBarge?」のシーンは「マジック・マイク XXL」のジョー・マンガニエロかと思った(「クライマックス」が「消火器」なの・笑)達者な喋り芸を披露するのに喋っていない時の方が余計に雄弁で、パワフルな喋りのレスリーといい組み合わせ。


妙な言い方をするようだけど、4人共、「かっこいい」といっても「普通」。それこそ私が映画の中の女に求めているものだから、見ていて気持ちがよかった。
これまた変なことを言うようだけど、例えばニール・ジョーダンの「ビザンチウム」は、彼の特性と吸血鬼という題材が「女というアウトサイダー」を描き出す結果になっていたけれど、本作は「ghost girl」というはみ出し者の話ながら、そこに重きを置かない。「頭」を使っている作り手が「女」を扱う場合、その境遇をみっちり描くか、本来なら当たり前だと思われる「普通」を描くかのどちらかになると思うんだけど、私は後者の方が好き。うまく言えないけど、「普通」を流布する形で権利を主張したい。


ポール・フェイグの映画にはどこかスケッチの連続のようなところがあって、もっさりしている。本作然り、オープニングの「ホーンテッドマンションの前説」とその晩の描写からして、ゼメキスが撮っていたらなあと思わせられる締まりの無さ。「小ネタ」が続くもんだから、これ予告編で見た!ということばかり思ってしまう(笑)
でも、それこそ「スープに収まりきらないワンタン」みたいなもので、バランスが悪かろうと、食べてみたら単に「美味しい」の連続ということもある。この映画はそうだった。メトロのホームで活動する画家の「ここはアトリエじゃない、ギャラリーだ」というセリフが、「今」と同時にフェイグ達を表してるのかなと思った。


気恥ずかしい程のラストシーンにも表れているように、堂々たるニューヨーク映画でもある。冒頭「ホテル」がタイムズスクエアにあることを示すカットで、「ニューヨーク東8番街の奇跡」を思い出し嬉しかった。でも位置関係等、いまいちぴんと来ないのが残念。あの街に住む人にとってのこの映画は、東京人にとっての今のゴジラみたいなものかなと思う。


クリステン・ウィグが「美男に弱い」のは、ビル・マーレイのキャラクターを踏襲しているんだろうか?(笑)でもこちらは「おぼこ」キャラだし、時代もあり「セクハラじゃない?」などと気にしている。オリジナルのマーレイの言動は、なんでシガニー、怒らないの?って感じだもんね。あの時代の映画の「男女」の描写は、今見たら怖いものも多い。
ところでクリス・ヘムズワースの描いた「ホットドッグ」は、「星の王子さま」の「うわばみ」だよね。彼、子どもなの(笑)