MEMORY メモリー


少女が(後に砂漠のそれと分かる)絵を描いているのは父親に子どもらしく見せるよう言われているのかどうなのか判断しかねていたら、ただ描きたくて描いているのだった。その絵に標的が子どもだと知り衝撃を受けうなされる殺し屋アレックス(リーアム・ニーソン)にはかつて兄弟で父親に虐待されていたという過去があった。死を前にした彼の信念は子どもの虐待を目のあたりにして浮かぶ涙と銃を持つ手、あるいは撃たれた傷に火をつける際の悪人である自分を罰しているかのような手にこめられている。ある人物の「1秒遅くてダメになった」というセリフがキーワードで、死ぬ前に何としてもというアレックスの気迫が、当初はリブート話から脳裏に浮かんでいた(The Naked Gunの)ドレビンのイメージから大きくかけ離れていく。

(以下「ネタバレ」しています)

アレックスの作中最初の仕事は標的の母親の目の前で行われる(相手が一人になる都合のよい状況を選んだのだろう)。一方FBI捜査官ヴィンセント(ガイ・ピアース)も初登場の場面において13歳のベアトリスの前で父親を意図せず殺してしまう。後にアレックスが一夜を共にするマヤはアルツハイマーを患った彼が自分を信じるためのいわばアリバイの役割をするので、終盤ヴィンセントの家へリンダ(タジ・アトワル)が訪ねて来た際にその後の予想がつく。二人は対の存在でもある。マヤまで殺されてしまうのには興ざめしたけれど、その後の展開にはアレックスの人情よりも合理性を重んじる性格が出ている(ので姑息な作りとも言える)。

北アイルランド出身のニーソンを「エルパソが故郷」である主役に据え、悪の組織のトップにイタリア映画祭で見たばかりのモニカ・ベルッチ、腐敗をかばい合う警察上層部、見ているうちにアメリカ映画でお馴染みの「メキシコ」の、最も弱い存在である子どもを映画の中でも外でも他国が消費している印象も浮かんでくる。自国の現状に激しく憤っているメキシコ警察のヒューゴ(ハロルド・トーレス)が語る人身売買にまつわるエピソードは他の映画などからして実際そうなのではと思わせるが、彼は捜査から降ろされ蚊帳の外となる。話の終わり、映画が彼に手を下させるのが本当によかった。その「セクシー」さもこれまでのアメリカ映画ではあまり見たことのないもので、例えばヘンリー・ゴールディングにつきこういう類のアジア人男性がやっと出てきたと話題になったのを思い出した。