ウィ、シェフ!


映画が始まると暗い画面に波の音と風に布がはためく音、人によって脳裏に浮かぶものが違うはずだと思っていたら。話は「カティ・マリー」(オドレイ・ラミー)がレストランの設計図を脇に四苦八苦しているのに始まる。理想の場を「箱」から作ろうとしていた彼女が物語の中盤に番組収録から戻ってきて皆に迎えられる姿にそうだ、「人」からなんだと思う。更に生放送での「ようこそ、『カティ・マリー』へ」で作品のメッセージをまっすぐ胸に受け感無量になってしまった。ここではその名は「教育」という意味だ。

フランス語の授業を受けていた少年とのやりとりで「厄介」(に当たる言葉)を使うなんてと思っていると…勿論自分ならこんな時は絶対これを使うという言葉をあえて出すこともあるけれど…相手のギュスギュスは綴りを訊ねてノートに書き込みすぐに、またこちらが忘れた頃に自分のものとして使いこなしている、あの良きはみ出し具合。ものを教えることが出来るのは生徒のおかげ、生徒がいてこそなのだとつくづく思う。一方で施設長のロレンゾ(フランソワ・クリュゼ)が流暢じゃなくとも彼らの言葉を使う場面があるのもよかった。

「国では男は料理なんてしないし女の言うことも聞かない」と皮剥きに取り組まないジブリル(そりゃ誰もが料理を楽しめるわけじゃないだろう)にかちんと来たカティは彼を追い出し、結果として悪事にアクセスさせてしまう。施設のサビーヌ(シャルタル・ヌーヴィル)が「深呼吸」、ロレンゾが「(女性が隣に座ったんだから)恥をかかせるな」などと声を掛ける、あれらはそうした事態を避けるための技術だ。そもそも18やそこらの青年がモールにいるとあれこれ言われるだなんて屈辱なんだから(でも施設側はそうしなきゃならないんだから)、弱い立場の側に配慮が必要だ。骨密度を測らされるエピソードは衝撃的で、この映画の価値があそこにあると思った。