アルマゲドン・タイム ある日々の肖像


公立学校、1980年のニューヨーク、クイーンズ、これからはorderに従うようにとの6年生の初授業で皆を笑わせたい、二人なら反抗できると仲良くなったポール(バンクス・レペタ)とジョニー(ジェイリン・ウェッブ)だが、ターケルトーブ先生の「背中にも目がある」で最初の分断を体験する。「どこにでも行ける」とグッゲンハイム美術館から逃げ出した帰りにお前はどこへも行けないと言われたジョニーは、先生の言葉は「気にしない」ふりができても同じ黒人の青年からのそれには耐えられず一人地下鉄を降りる。

こうした分断にポールは戸惑いや居心地の悪さを感じるがジョニーの方はよくよく分かっており、物語の終盤、自分の責任だと告白したポールに担当警官が「家族に問題があるなら助けよう」と声をかけたところで自分には味方がいないこと、誰にも気にかけられていないことを思い知り全てを背負って親友を逃す。作中唯一挿入されるポールが知り得ないジョニーの家での姿は祖母との別れの場面で、ポールも一人ぼっちだがジョニーの方は比べ物にならないほどどこまで行っても一人なのだと分かる。

ユダヤ人殺戮の記憶を受け継ぎ語る祖父アーロン(アンソニー・ホプキンス)、寝床でそれを思い出す孫にして主人公のポール、しかしこの家庭のコアはその間の世代の両親である。自分を遥かに超えろと命じパパも家族も嫌いと聞くと更に烈火の如く怒り出す父アーヴィング(ジェレミー・ストロング)、その暴力に息子を任せ彼らが生きがいだと言う母エスター(アン・ハサウェイ)。冒頭の夕食の席でポールが母のスパゲティに不平を言い日頃の倹約を知らずして踏みにじりデリバリーで餃子を頼むまでの一幕が見事で(兄の行動の理由が後に分かって苦しい息が出る)、皆が好き合いユーモアがあってもこのような場になり得る、一見不条理に見える、その根にあるものが描かれている。

ポールがフレッド・トランプの言葉にホールを後にし学校を振り返るのに終わるこの映画自体が、「人生は不公平だ、世の中で最悪のことだ、でも生きていかなくちゃならない、お前は幸運に感謝して決して振り返るな」との父親の教えへの長い時を経ての返答だと言える。祖父にも父にも苦悩があった、ポールにも何かがまた降りかかるだろう、でもその中で出来る限り「高潔」な精神を生かし続けねばならない。ロケットは「運が良ければ垂直に、風が強ければ遠くへ飛んでいく」、祖父の座るベンチからそれを追い走って行く彼の姿が心に残った。