ビフォア・ミッドナイト




「現実には、僕は運命のあの日、君に話し掛けたんだから…」


恋人までの距離(Before Sunrise/'95)」「ビフォア・サンセット(Before Sunset/'04)」の続編。18年前に出会ったジェシーイーサン・ホーク)とセリーヌジュリー・デルピー)のその後を、ギリシャを舞台に描く。
不思議なもので、「サンライズ」「サンセット」は大好きな映画なのに、「ミッドナイト」を見た直後の現在、前二作を見るのが面倒、もう「今」だけでいいやという気持ちになってしまっている。私が二人に感情移入して、せっかく関係を構築してきたんだから、と思ってるのかな。時間が経てばまた、見返したくなりそうだけど。


「サンセット」の後にジュリー・デルピー監督作を知ってしまった目で見ると、そちらの方が好みかなと思うも、このシリーズにはこのシリーズにしか無い素晴らしさがやはりある。リンクレイター監督の映画ってこんなにも「かっちり」してたっけ?と改めて思わせられる作りもそうだけど、私にとっては、今作の言葉を使えば、「クローゼット・マッチョ」との時間もかけがえの無いもの、になりえるってこと!ジェシーの「三作目の本のタイトル」(作中人物の言のように、長すぎて覚えられない・笑)がまさにこのシリーズの「テーマ」そのものだったのが可笑しい、あれは誰の案だろう?


オープニング、並んで歩いて来る汚れた靴が二組。カメラが上ると片方のお腹はTシャツがぱつぱつ。ジュリーの容姿の変化は知ってたけど、イーサンの方を見るのは久々なので、ちょっと驚いてしまった。でもどちらも全然悪くない。「順当」という言葉が頭に浮かぶ。
ここへ来て初めて、二人の下着や、直接的なセックス(の前段階)シーンが描かれる。おっぱい丸出しでぶらぶらと、ドア開けっぱなしでおしっこというのは「同じ」なんだろうか(でも後者の場合、話す声が互いに聞こえるようにという配慮?とも考えられるよね・笑)「あけすけ」になったと言えるけど、そのことと、ジェシーの「僕が一番見たいものは…」という(私には「雰囲気作り」とは取れなかった)言葉とは、必ずしも相反するものじゃないと思う。


サンライズ」と「サンセット」は、二人が乗り物か徒歩でもって移動しながら会話する場面が大方だったけど、今作で彼らが乗るのはジェシー自身が運転する車だけ、しかも後ろに娘二人を乗せている。彼女達が眠っているので、表面上はここでの会話は二人だけのものだけど、後の場面で、完全に「二人」だけのものじゃなかったと分かる。
老作家の別荘での夕食の場面で、シリーズにおいて初めて、グループでの会話が登場する。話す人、聞く人の様々な表情を見るのも面白い。世代の違う皆が「対等」にやりとりする。子どもはおらず「大人」だけ、作家の孫が「『彼女』を連れてきたら大人扱いしてくれた」と言うので、ここでの「大人」の定義は「パートナーが居ること」なのかなと思う。
ホテルまで歩く道すがらの、セリーヌいわく「こういう会話は久々」の場面は前二作を思い出す楽しさ。しかし到着した部屋で二人は盛大な喧嘩をする。作家が言うところの(一体となるんじゃなく)「いつも『二人で』」を実現するためには、こういうぶつかり合いも必要なのかなと思う。ただ、このシリーズは、「フェミニスト」と銘打たれたセリーヌのキャラクターを活かすために状況が仕組まれているように感じる部分もあり、見ていてそれが辛い(そこがジュリー監督作の方が好きな所以)。


サンライズ」には列車が、「サンセット」には飛行機が出たものだけど、今回は「ミッドナイト」…真夜中に発つ乗り物はあまり無いから、その時点で一緒の二人はその後も大抵一緒だ。冒頭、車で別荘に「到着」した二人は、時間はずっとあるんだからとでも言うようにすぐ分かれ、夕方にはそれぞれ「男女」のグループに所属する。「男」は海辺で文学を語らい、「女」は台所で夕食の準備(「若い」女は顔を出すだけ、まだ台所仕事に加わらなくてよい)。マッチョな展開に戸惑っていたら、案の定、セリーヌは彼のことを皆の前で「隠れマッチョ」とからかい、後の喧嘩の際に問題として口に出す。そりゃあ、あんな日が6週間も続くなんて、私なら数日で帰るね(笑・その上普段から毎日夕食作ってるなんて冗談じゃない!私なら数ヶ月で別れるね)逃げずに話し合うセリーヌはエネルギーがある、しかもあんな、「自分が話をはぐらかすから相手が話をループさせるはめになるのに、それを『感情的』と馬鹿にする」一番卑怯なタイプを相手に(笑)
前二作でも二人は「男女」論を展開していたけど、会話のための会話だから、「この話はもう終わり」と切り上げることが出来た。子を持ち集団の中に入ると、「実際」から逃れられなくなるんだなあと思う。


作中、二人がどこかへ「到着」する度に「行き止まり」感がある。でも「行き止まり」のホテルでも、ほんのひと時彼女が居ただけで「跡」が出来、彼の心に残る。そしてラストシーン、二人の背後には無限と言ってもいい、ある広がりがある。それは前二作には無かった風景。どちらに向かうかは、まさに自分次第なのだ。
このシリーズの幕切れはどれもいいけど、前二作が「ロマンチック」な想像を掻き立てるのに対し、今作の場合、私の「想像」の内容は、あの「問題」の数々はどうなるのかなあ、というものだ。ジェシーは息子と「別れる」日にはまた不機嫌になるのか?彼の「いつも同じセックス」はあの夜を切っ掛けに変わるのか?(これは大きな問題だよ・笑)等々。9年後の続編が、「お昼まで」に二人がそれぞれのパートナーの元に戻るという話でも、私は全然構わないよ(笑)