
40~30年前に何度も読んで身に付いている作品(他の映像版は「見たことがある」程度)の劇場アニメ版によって新たな発見があったのは、原作を大事にしながらも映画ならではのアングルや筋立てで見せてくれるからだろう。恋する相手とあんな衆人環視の中でしか会えないなんて、という悲しさは大きなスクリーンで見てこその体感だし、四人がばらを手に自らの恋を貫くと訴える歌の後に一転、市民の困窮が描き出される衝撃も、操作された時間内で見てこその体感だ。原作そのままのセリフやカットの選択も適切で、「要約」とは感じないぎりぎりの豊かさがあった。
銃を売り捌いた衛兵隊の面々がそんなことをした理由を訴える場面で涙がこぼれそうになったが、このあたりからの、これも映画ならではの怒涛の展開に熱くなる。ベルばらの根であるバスティーユ襲撃の場面には意外にもアクション映画としての面白さもあった。「愛するフランス」「フランス万歳」と息を引き取るオスカル、その後の原作通りのアンドレとの場面の後にエンドクレジットに入った瞬間「えっ」(ここで終わり?)と声が出てしまったけれど、これでいいのだ、これは国を愛するとは国に歯向かうことという話なんだから。全てが今に通じる。
私は子どもの頃からオスカルに興味が持てず(それは怠け者だからかも、懸命に仕事するというのに心惹かれなくて…)アントワネットや他の女達ばかり心に留めていたけれど、この映画はオスカルの物語。池田理代子の描く瞳の上側の線が見事に表現されていた。彼女が「男装の麗人」であることについては、アヴァンタイトルで「父に息子として育てられた」と語られた後は特に触れられることなく話が進み、結婚話のくだりに至って原作通り「私の人生…」が強調されると、ここに描かれているのは父親(=家や国)に生き方を定められることの苦痛だと分かる。加えて女には仕事と恋の両立はできないということ。父の側の人間であるジェローデルの愛の告白は今の感覚では相当「キモい」が、作中のオスカルの心中は私には読めなかった。