同じ下着を着るふたりの女


始めは昨年読んだ『母親になって後悔してる』を思い出しながら見ていた。あの本にこのスギョン(ヤン・マルボク)のような女性が出てきたわけでは全くないが、お腹を切った跡を意識している描写などからして、ここから出たのがこれ、といったような違和感をずっと抱えているように私には見えた。そういうことはあるだろう。

しかし中盤、彼女は肉を食らいながら娘に訴えるのだった、生計を立てるためのよもぎ蒸し店での労働で女達の汗と夫や義母に対する愚痴とが自分に溜まった、これは最早「公害」だと。韓国ドラマを見ているとシングルマザーがいかに差別と偏見にさらされているかが分かるが(登場人物に据えて応援、支援するのはその必要があるからなのだ)、社会的な問題が根にあるとこの映画も言っている。母の捌け口である娘イジョン(イム・ジホ)が社会の最終的なゴミ溜めということになる。

「公害」って何なのかというと、スギョンが店で一人のところへクリームを買って持って来る友人の夫、ああいうのもその源なのだ。何の気なしにしているんだろうけど、何の責もない二人の女の間に亀裂が入りそうになるんだから(この問題が「解決」する場面は突如ほのぼの風味でちょっと可笑しかった)。

映画は娘が洗面台で下着をまとめて洗っているのに始まる。電話中の母親が、多分いつもそうしているのだろう、一枚絞らせたのを受け取り履いて出かける。娘も母の下着を履く。この家にはいわゆる距離感が無いに等しいのが、恋人の娘のあのグッズを(一応拭いてからだけども)あてがってみる場面などに表れている。下着を始めとしたこうした物の使い方や最後のリコーダー演奏(映画においては管楽器の音はやはり「声」なのだろう)などが効いているとは思わなかったけど、クソな女やクソと一緒の女の心の繊細なひだが全編に渡って描かれているのが面白かった、女のそういうのは未だ少ないから。離れるとうまくいかないあたり、でも最後には離れるあたりもよかった。