最近見た韓国映画


▼夏時間

私にはあまりに何もなさすぎた。何も起こらないという意味じゃなく、例えば主人公オクジュがお金を欲しく思う気持ちや兄と妹の間の金銭的なわだかまりなどの色々がその場面以前以降にも存在しているように感じ取れず、全てがその場限りに思われた。

子どもである弟が「一人じゃつまらない」とはっきり口にするけれど、家族全員がそう(姉は一人でいるかと思えば家族のアルバムを見ている)。でも前述のように全てがその場限りなもんだから、彼らが一緒がいいと思うのは面倒を避けてるからじゃないのかと考えてしまった。さすれば私が唯一面白いと思った要素は顔の見えない母親で、どうやら彼女が「出て行った」ふうだから、彼女だけは面倒に向き合ったために一緒に暮らせなかったのかなと考えた。あの食事シーンはよかった。

字幕に頼れば私でもかなり韓国語が聞き取れた。数日前にTwitterのTLに回ってきた「TOEICの世界にありがちなこと」じゃないけれど、文法の本に出てくるような、家族間でよく交わされる類の文が多かったから。そういう映画だと言える。振り返ると家族以外の人間、例えば彼氏や業者と喋っている場面はとても少なく、妙にどきどきさせられる。そこも面白かった。



▼野球少女

「梨泰院クラス」の、という謳い文句に引っ張られたわけじゃないけれど、韓国ドラマを見てきてよかったと思った。先には韓国の映画とドラマの間に分断を感じていたけれど、ドラマも見るようになると、やっぱり繋がっていると思う。この映画にはこれまでになくその融合を(勝手に)感じた。

それにしても皆遅い、遅すぎるよ!「野球部にいるだけで辛」かったのに。いじめられてきたのに。今頃!と思ってしまった。この映画は女性差別の数々を物語に「うまく散りばめている」わけじゃない、女がゆく道を描けばそこに差別が現れたんだと感じ取れる。「中学の時より速くなったんだって?」「130キロなんだって?」(男にそんなこと言うか?)。あの「部室」からの、合宿に参加できない理由。「可愛いな」。等々。

韓国の映画やドラマで汁物のない食卓というのは珍しい。母親が家計も家事も一手に担っているんだから尤もな描写である。演じるヨム・ヘランは自分はお金を払う側、取られるばかりの側だと思い込んでいたものだけど、後日見た「ステージ・マザー」(2020年カナダ)ではジャッキー・ウィーバーがいわばその逆の、自分は何も奪われないと信じている役を演じ、その天真爛漫さで自分と周囲を救っていた。これは本人いわく「小麦粉のダマ(=周囲と説け合わない白人)」だったから出来る芸当なんだろう。私達には違うものが必要だ。



▼国際捜査!

完全に男の映画だから好きにはなれないけれど、監督が前作と変わらぬものを描いてるという点で昨年見た「スタートアップ!」(感想)と同じ面白さがあった。前作の「ありふれた悪事」と同じく主人公が犬を邪険にするのに始まることからもそれが分かる(尤もそこには自分と犬とを重ねているふしがある)。

ビョンス(クァク・ドウォン)も「ありふれた悪事」の原題同様「普通の人」…家族を愛し(ているつもり)、金や女が眼前にあればふらつく刑事の男である。しかしもう1987年じゃないから、あるいは「ここはフィリピン」だから、「正直に言って下さいよ、金か友情かどっちだか」「金のような友情だ」が成り立つ。金のため家族のためと致し方なく裏切られ殺されたキム・サンホが、こちらでは友情により命を長らえるのだ。

旅行先のフィリピンで父親と離れることになった幼い娘の暗い横顔を、カメラは静かに捉える。そこからの、ビョンスが娘をかき抱いてあることを選択、決意する場面に、彼女が生きるこれからの世界はそうであってほしいというのが彼の、あるいは作り手の願いなんだろうと受け取った。