TAR ター


冒頭、ベルリンの自宅に帰ったター(ケイト・ブランシェット)はパートナーであるシャロン(ニーナ・ホス)の心拍数を薬と音楽とダンスで落ち着かせてベッドに入り、「移民」である娘ペトラがいじめられていることを聞き出し学校へ送って対処する。全てをコントロールしたいターの欲望がここではうまい具合に放たれ受け入れられているように見える。尤も薬はシャロンに必要と分かっていながら持ち出したものであった。

家庭でのこの描写は私にはジュリアードでのうまくない講義と対になっているように思われた。「些細な違いにこだわるのはやめて、世界がつまらなく調和する」「あなたが作曲家をそういうふうに見るなら、あなたもそういう評価基準で見られる」と学生を支配しようとしても(そこには権力をふるう者とふるわれる者の二者しか居ない)思うようにいかない。後に助手のフランチェスカ(ノエミ・メルラン)からクリスタの自殺のことを聞かされたターは「仲間じゃなかった」と言うが、内と外を分けてうまいことやろうとしても結局どちらも支配していることに変わりなく、最後にはシャロンも「そんな運転をするなら今すぐ下ろして」とターと道を分かち、「例外」だと彼女が気づき得なかったペトラも引き離す。

そんなターが支配下に置こうとしない、置けない、いわば最強の刺客がそのおしっこの音に彼女が惹き付けられた若きオルガ(ゾフィー・カウアー)で、確かにラよりシのフラットの方がいい。後に分かるターの出自と違い恵まれているらしき彼女はフェミニストで、「普通」であればそれに比してターは苦労ゆえ…というところだが彼女はそういう人物ではない。どういう道のりでもって「でもマーラーの妻はそのルールに従ったんでしょ」なんて姿勢に辿り着きあからさまな贔屓や勝手を繰り返すようになったのか全く分からない。始めはそれが新しい、面白いなと見ていたけれど、その内そういう前例がないのはそういう現実がないからで、これは一体何なのかと思われてきた。

ターが「オリジナル」であることに拘るのは彼女の非政治性や傲慢の表れ、シャロンの言う「あなたは悲しい人」というのが合っているかもしれないと思う。ラストシーンで指揮台にいながら大きなヘッドフォンをしている姿には、そうだなあ、お前の方は死んでないんだから他者を聞くことから始めるくらい何でもないよな、という気持ちになった。ひどく架空の人物に対してだけども。