ミッドナイト・トラベラー


UNHCR WILL2LIVE映画祭2019にて観賞。2019年/ハッサン・ファジリ監督/アメリカ、カタール、カナダ、イギリス制作。タリバンに死刑宣告を受けた映画監督が家族で亡命する日々を自ら撮ったドキュメンタリー。

出発前に監督がスマートフォンを構えた自身を鏡に映し「私達のカメラはこれ、モバイル」と言ってみせるように、「携帯」電話の映像によって作られた映画である。難民や移民絡みのニュースを撮影するメディアに遭遇することもあり、撮られる立場となって「顔が映るようカメラを下げてください」と言われる場面などまさに対峙という感じだった。

路上に寝泊まりする際の妻の「撮らないで」に、このような状況でも当然ながら撮る側には撮る側の特権があるのだと思う。ブルガリアの難民キャンプで彼女が殺虫剤を撒いたりベッドの枠を掃除したりするのに、監督もカメラを持っていない時にはやるのだろうかと考えていたら、部屋を訪れた顔見知りの少女に「きれいになったね」と言って妻に怒られる、なんてくだりが挿入される。この辺りには厳しい生活での彼女の苛立ちを伝えんとする監督の意図と妻自身の思いとのちょっとした齟齬を私としては感じた。自身も映画監督である妻の「アフガニスタン映画が堕落していると言われるのはそういう態度が原因」とは映画を見たことのない私には分からないが、「知り合った当初、私が髪を少し出していると彼は叩いてきた、昔はそうだった」という話からして、この男性が変わってきている(それを映画に残す意思もある)ことは分かった。

撮影も幾らか担当している上の娘ナルジスのナレーションによれば、アフガニスタンに居る際にニュースを見ていると父親に突然「将来の夢は何」と聞かれた、つまり監督は子どもに残酷なことを見せまいと努めていたそうだが、結局のところ一家は選択の余地無く辛い行程をゆかねばならなくなる。ブルガリアで現地の男に殴られそうになったりキャンプをヘイトスピーチのデモに取り囲まれたりと、それは「地獄とは他人」の道だ。娘の泣く姿や沈み込む姿をカメラに収めるなんてさぞかし辛かろうと思っていたら、終盤下の娘ザフラの姿が見えなくなった時、彼は「茂みの中を探しているところへ妻がやってくる、そんな場面が撮れたら面白いだろう」と一瞬、ほんの一瞬思ったのだと言う、そのことをも記録し私達に見せる。ちなみに一家は(私が映画を見た)現在はドイツで亡命審査の結果を待っているそうだが、作中最後のナルジスの言葉は「こんな旅は忘れたい」であった。